相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

梅雨入り

横浜も梅雨入りとなり、どんよりとした曇り空に雨雲といった日が続くようになりました。湿気が多く鬱陶しいと思われる方も多いことでしょう。洗濯物は乾かないし、行事やイベント、お出かけといったときにはあまり喜ばれない梅雨ですが、 作物ばかりか私たちに大きな恵みを与える存在であることも事実です。長雨や豪雨は困りますが、自然のサイクルと人の営みは密接に関連しあっていますから、この時期に雨が降らなければ暑い夏を乗り切ることもできません。晴れる日、曇りの日、雨の日、風の日と私たちの思議を越えて自然の運行がなされています。春夏秋冬のみごとな移ろいに気づくとき、私たちをとりまく環境が大きなひとつの生命体であることがわかります。

梅雨は平たく言えば日本の雨期ということなのでしょうが、梅雨という表現も趣きのあるものです。そのいわれをたずねれば、この時期は長雨が続き湿度が高く、黴(かび)が生えやすいことから「黴雨(ばいう)」といわれ、これが「梅雨」に転じたとも。この時期が梅の実が熟す頃であることからとの説もあります。
梅雨の時期は各種のカビなど微生物が発生しやすく、食品などの腐敗しやすい時期であり、食中毒などには注意しなければなりませんが、他方、その微生物は日本の食物にゆかり深い、しょうゆ、酒、納豆などをつくるのに重要な働きをしています。
紫陽花(あじさい)も少しずつ彩りを増してまいりました。また、市民の森のみどりも雨に濡れると一層その色が深まったような気がします。何事もプラスとマイナス、表と裏、正と負、はからいをもたずに降る雨をながめていると、梅雨には梅雨の大きな意味があるんだなと思わずにはいられません。

明日の13日は午後1時から宗祖の月例御報恩講を執り行います。どうも梅雨の晴れ間とは行かないようですが、毎月13日に行われるこの「御講」(おこう)は日蓮門下にとりましては大事な法会(ほうえ)であります。それは末法(まっぽう)の法華経の行者であり、一切衆生を導かれる宗祖への報恩感謝を申し上げる日であるからです。

法会(ほうえ)は「日蓮大聖人の教えに巡り会えたこと、法華経の教えに縁を結べたこと、仏法信仰を柱に人生を歩めることに感謝の心をもつ」同信の方々の参詣を得て執り行われます。都合にて参詣できない檀信徒の方々も、宗祖の門弟として自宅の御本尊様にご報恩の読経・唱題をお勤め願いたいと存じます。

相武山 山主

2012年06月12日

飛びはじめたホタル

帷子川(かたびらがわ)の源流域となる当山周辺では、自然のホタルが1週間ほど前から飛び交いはじめました。養殖したり人の手を入れたホタルではないため、例年乱舞のような風情ではなく、か細く遠慮ぎみに飛んでいますが、今年はまだ数も少なく探さなければならないほどです。都会に残された貴重な自然ですから、しっかりと生き抜き、子孫もがんばって残してほしいと願っています。
これからしばらくは楽しめそうですので興味のある方は観賞に足をお運び下さい。

昨日は当山の檀信徒による法華講総会を開きました。
はじめに参加者一同、法華経読誦・唱題を修して仏祖三宝尊にご報恩を申し上げました。総会は中澤俊彦さんの司会で開会、松本あや子さんの講費会計報告、寺院より護持会費と建設御供養の会計報告、続いて老川文枝さんによる監査報告が行われました。
講頭挨拶では新倉昇三さんが寺院参詣を中心に、皆んなで力を合わせて菩提寺(ぼだいじ)を護り、法燈(ほっとう)相続に励もうとのべられました。

所感発表では東海正信連合会副幹事長を務める熊木真治さんが、連合会の活動について説明され、いろいろな機会を活用して信行を深めて行きたいとのべられました。また、岐阜天奏寺で挙行された興厳師の補任式に参列した感動も併せて発表されました。続く所感発表では85才を迎えていよいよ壮健な金沢区の吉次昭治さんが、長い信仰の経験から信仰にも筋目・礼儀というものがあり、好き勝手に自由にふるまうのではなく、住職からの指導を適切にうけながら、頑固にならない程度に、より良い信仰スタイルを皆んなで築いて行きましょうと優しく語られました。
次に妙法院執事の興厳房が御礼の挨拶をさせて頂きました。岐阜・天奏寺での補任式、当山での補任披露式と檀信徒の皆さんより寄せられた祝意に心からの感謝を申し上げた次第です。

最後に住職挨拶として「妙法院の今日までの歩みを振り返り、妙法院の存在意義を今一度皆んなで確認しよう。法華経や日蓮大聖人の教えに縁を結び、その功徳に身を置くことができるのは、先師先達の尊い仏法護持の信行のお陰であり、これからは私たちが仏道の担い手となって行こう。仏様の弟子との自覚を新たにして、教えをよく学び、良く伝えて行こう。また菩提寺妙法院は檀信徒の信心で維持されており、今後も護持のためにできる限りのご協力を願いたい」とのべさせて頂きました。

参加者一同今後の精進をお誓い申し上げ散会となりました。

相武山 山主

 

2012年06月04日

金環日食が観られる

5月21日(月)の朝には日本で金環日食が観られるということです。当院の在る横浜市旭区でも「今回の金環日食では、太陽がドーナツ状になる様子を観察することができる金環日食帯の中心線が旭区を通ります。 6時過ぎから部分日食が始まり、7時30分近くに月が太陽の中心に達します」
また『東の空が開けたところであれば旭区内では、どこでも金環日食が見られます。東の方向で、約35度の高さに見えます。(35度は腕をまっすぐ伸ばし、にぎりこぶし3個分の高さを目安にしてください。)「中心線」に近いところほど、金環状態が長く続き、リングも隔たりなく重なります』というお知らせがありました。

近くの動物園ズーラシアでは「5月21日に、いよいよ待ちに待った天体ショー「金環日食」当日を迎えます。もっとも金環日食のリングが美しく見えると言われている中心線、その中心線がズーラシアを通過します。そこでより多くの皆様に金環日食を楽しんでいただくため、早朝6:00から開園するとともに、ご来園のための早朝臨時便(中山駅発よこはま動物園行き)を運行します。」との案内を出しています。

金環日食について国立天文台では、『「日食」とは、月が太陽の前を横切るために、月によって太陽の一部(または全部)が隠される現象です。太陽が月によって全部隠されるときには「皆既日食(または皆既食)」と呼ばれます。また、太陽のほうが月より大きく見えるために月のまわりから太陽がはみ出して見えるときには「金環日食(または金環食)」と呼ばれます。今回は日本の一部の地域でこの「金環日食」が見られます。 - 略 - 日食は、見る場所によって、どのくらい深く欠けるかも違いますし、日食が始まる時刻や一番大きく欠ける時刻・日食が終わる時刻も違います。』と解説しています。

もちろん雨や曇り空では観ることができないのでしょうが、めったに観られない天体ショーですから話題に上っているのでしょう、私も観ることを楽しみにしている一人ですが、めったにないということは、実は今日一日の命の営みに他なりません。よく考えれば誰もが明日を保証されていないのですから、一日一日の大切さに思いをいたしたいものです。

さて明日は午前11時より当院恒例の「日曜法話会」を開きます。
テーマは「帰依のこころ」としました。仏道の基本であり、仏教信仰の証となる三宝(仏・法・僧)への帰依についてお話をさせて頂きます。
皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

 

2012年05月19日

教師補任新説披露

五月晴れに恵まれた5月5日(土)午前11時から、弟子興厳房の教師補任新説の披露をさせて頂きました。この披露は去る4月8日岐阜県垂井町の天奏寺において、興厳房が教師補任式を挙行させて頂きましたが、妙法院信徒の参列は限られていましたので、妙法院で披露申し上げる事となった次第です。前座役には千葉県円乗寺の丸岡真乗師を迎え、兄弟子の坂上純興師と教区ご僧侶の参列を得た教師補任新説披露には約90名の信徒の方々が参列されました。

披露式では坂上師が進行役を務め、開式の前に住職より教師補任式の意義と披露式のながれが説明されました。披露式では天奏寺での補任式に倣い、法華経寿量品自我偈の読経に続いて唱題がなされる中、丸岡真乗師が御宝前での三拝を行って高座に登られました。説法では教師補任の意義を述べられた後に、法華経随喜功徳品について丁寧に御説法されました。次で興厳房が御宝前に三拝、威儀をただして高座に登り、法華経見宝塔品について説法をさせて頂きました。参列の皆様は幼い頃からの興厳房を承知で、ようやく説法を許されるまでになったことに、温かいまなざしを送られ真剣にご聴聞頂きました。

その後、参列者と共に記念撮影を行い饗応へとうつりました。毛氈が敷かれた本堂での饗応では、始めに茅ヶ崎市妙覚院松田教尊師と講中代表の新倉昇三さんからお祝辞を頂き、丸岡師の発声で乾杯を行いしばし歓談の時をもちました。参列者のお一人お一人に興厳房と一緒にご挨拶を交わし、御礼を申し上げました。非力な妙法院はこれまでもイバラの道を歩んできましたが、我が国では信仰や宗教への偏見もみられ、仏教の教えを学ぶことの大切さをうったえて行くことも難しい時代となりましたから、興厳房の未来も厳しさが予想されます。しかし、宗祖の御生涯に思いを馳せるならばきっと乗り越えて行くことができるでしょう。
有縁の方々のご理解とご支援を心からお願い申し上げる次第です。此の度はありがとうございました。

相武山 山主

2012年05月17日

宮崎さんを偲んで

連休の4月29日に宮崎遊亀子さんの七七日忌法要が執り行われました。宮崎さんは去る3月14日の早朝に逝去され、この日は娘さんの由喜美さんとご主人、お孫さんの将太郎君夫妻と拓磨君、そして妹にあたる緑区の落合さん御夫妻が参列しての法要でした。宮崎さんは平成7年当院にお見えになられて約17年、いつも日蓮大聖人への信仰を大切にしておられ、教えについてもまじめに学ばれる方でした。

宮崎さんは元来心臓が弱く10年ほど前からは、心肺機能の疾患で入退院を繰り返しておられました。それでも信仰心の篤い宮崎さんは、妹の落合さんの助力を得て、身体の不調をおしてよく妙法院に参詣されました。昨年のお会式のお花作りにも喜んで参加され、笑顔で皆さんと言葉を交わしておられたのが印象的です。今年になってもご主人の17回忌を気にしておられ、娘さん御夫妻と合力して1月8日には無事に法要を営まれました。そのおり、「あ~良かった、これで心残りはありません」と語っておられたのが耳に残っています。

本人の希望により葬儀は妙法院を式場として、3月17日・18日に執り行われました。ご家族・親族・友人が参集された葬儀では、宮崎さんが深く信仰しておられた法華経が心を込めて読誦され、日蓮大聖人のお題目が厳かに霊前に供えられ、霊山への旅立ちを皆んなでお祈り申し上げた次第です。
ご本人はとても可愛がっていたお孫さん達が、いつの日か法華経と日蓮大聖人の教えを信仰して、より良い人生を送ってほしいと願っておられましたが、きっとご家族や親族、友人の方々の幸せを法華経の世界から見守っておられることでしょう。

合 掌
相武山 山主

2012年05月13日

新緑の季節

明日から皐月(さつき)、春を満喫させてくれたサクラも瑞々(みずみず)しい青葉をひろげ、境内の雑木林から市民の森まで、周囲の樹木が一斉にやわらかい青葉を伸ばし始めています。気持ちの良い新緑の季節を迎えました。ヤブの中からは「ホーホケキョ」とうぐいすの鳴き声が聞こえます。うぐいすの鳴き声にふれる期間は意外に長く、当院の境内では6月くらいまで聞くことができます。

また1周間ほど前から夕方になるとカエルの声が聞こえ始めました。市民の森周辺にはわずかながら田んぼがあり、田起こしの前くらいからカエルが鳴き始め、田んぼに水が入る来月からしばらくは大合唱となります。また当院周辺は横浜市内を東京湾まで西北から貫く帷子川(かたびらがわ)の水源となっています。水がきれいなために6月には自然の蛍がかぼそく飛び始めますが今から楽しみです。

昨日は恒例となった「日曜法話会」でした。ゴールデンウイークの真っ最中で、近くの「ズーラシア」には大勢の人出があり、保土ヶ谷バイパスも中原街道も大混雑でしたから、車でご参加の方は難儀されたことと思います。
法話会では「今を生きる」をテーマとしてお話をしました。はじめに法話会の趣旨とお寺の役割をお伝えしてから、「世相」は新緑を迎えてのお話しです。人知を越えた自然の運行からさまざまなことを学ぶ日本人、あるがままに精一杯に生きている自然、、その自然の移ろいを楽しむ人々のすがたを説明しました。しかし、それも自然の移ろいに思いが至らなければ、気がつくことはできません。事象の変化に気づくよう心を磨いて行くことをお勧めしました。

テーマについては、「今」という時間の問題と、「生きる」という生き方の問題を整理してお話ししました。原始仏典の「過去を追わざれ、未来を願わざれ。およそ過ぎ去ったものは、すで に捨てられたのである。また、未来はまだ到達していない。・・・・ ただ今日まさに為(な)すべきことを熱心になせ。誰か明日の死のあること をしろうや」を引用して、仏教としての過去と未来と現在のとらえ方について説明。その上で、私たちは過去(幸・不幸、栄枯盛衰)にとらわれやすく、未来については希望と悲観にゆれやすい存在であることを学び、仏教では「今を如何に生きるか」ということが肝要とお伝えしました。
さらに仏教の時間論、存在論の基本に「刹那論」(せつなろん)があり、諸行無常の教えのとおり、あらゆるものは生じては滅(ほろ)んで行く刹那の連続であることを学び、ややもすれば一貫して見てしまいがちな時間論ですが、刹那・刹那に分断し、存在しているのが事実であり、一瞬一瞬に縁起(えんぎ)のことわりに従って変化しているのが実相(じっそう)であることをお話しました。
最後に「崇峻天皇御書」(すしゅんてんのうごしょ)・「富木入道殿御返事」(ときにゅうどうどのごへんじ)など宗祖の御書(ごしょ)を拝読し、宗祖のお心と教えについて申し上げ法話会を結ばせて頂きました。

相武山 山主

2012年04月30日

興厳房教師補任式を挙行

麗(うら)らかな陽光につつまれた4月8日、弟子興厳房(こうげんぼう)が岐阜県垂井町の新田山天奏寺において教師補任式(ほにんしき)を挙行させて頂きました。
教師補任式は僧道を志して得度(とくど)した僧侶が、十数年の修行を経て教師に任ぜられ、高座に登って初めて説法することが許される儀式です。僧侶が難行苦行・刻苦勉励して自己を磨き、人々を仏の教えに導くことは僧道のあるべき姿であり、古来仏門をくぐった多くの僧侶は志を立てながら精進してきました。しかし、全うできたか否かは仏様のみの承知されるところです。

人それぞれに人生は異なりますが、より良く生きたいと願い、人生の意義を自らに問いかけて納得できる高みをめざそうと思えば、いずれもたやすい道はないことでしょう。僧道もしかりで、これで良いという着地点の見える道ではありませんから、厳しさと険しさを覚悟しながら一歩一歩あゆみを進める他はありません。間違ったり、失敗をしたり、導かれたり、励まされたり、落ち込んだり、その気になったりと、紆余曲折(うよきょくせつ)を経ながら学んで行くこととなります。

さてライフスタイルばかりか、あらゆることが昔とは異なる現代社会、環境が変化すれば人の心も大きく影響を受けることになります。僧侶の世界とて同様です。下界・俗界を意識しないでよい一部の世界は別にして、時代や社会の影響をうけながらその道を全うしなければなりません。旧来の在り方を学び伝えることだけでもかなり厳しいものですが、その時代に適(かな)った在り方を模索して実践することはさらに困難なことといえるでしょう。また例外的には優れた僧侶がおられるかもしれませんから一概にはいえませんが、昔の僧侶の修行に比べれば、この道もさまざまに軟弱になっている気がいたします。かく語る私とて例外ではありません。現代に生きる僧侶はより資質を問われ、志の有り様が問われていることを自覚しないと、世の中の信頼を得ることは難しいように思います。そう考えると僧侶としてというよりも、その人間性が問われているといった方が適切であるかもしれません。

弟子興厳房にはここを自覚してほしいと思っています。得度以来12年を経て教師に補任されたわけですが、特別難関な修行を克服(こくふく)して達したわけではなく、所定の経歴をふまえ允許(いんきょ)を蒙(こうむ)ったということですから、この儀式は大切なものですが僧侶としてのゴールではなく、ようやくスタートラインに立ったということを意味しています。これからは厳しさと困難から逃げることなく己(おの)れと向き合い、心身を磨き上げて少しでも仏様の教えを伝えて行ける僧侶に成長してほしいと願っています。

相武山 山主

2012年04月23日

里山に春のおとずれ

今年は梅やレンギョウなどの開花も遅く、サクラも遅いのだろうなと思っていましたら、予想どおり昨年よりもかなり遅い開花となりました。本堂の南側、寂静庵裏手のサクラや自然林のサクラは4月3日からようやくほころび始め、ここ数日が満開というところです。矢指・追分両市民の森のサクラも同様です。間もなく花吹雪となって散り始め、来週には葉桜となることでしょう。

自然に恵まれた当院周辺では、春の草花がそこかしこに顔を出してきました。また、落葉樹がそれぞれに芽吹きはじめ、うぐいすの声も森をわたっています。新緑につつまれるのも間もなくのことでしょう。
春の温かさに誘われて市民の森の花畑や林間コースでは、多くの人々が気持ちよく散策を楽しんでいます。この地域の市民の森は「里山」をイメージしていると紹介されていますが、まさに里山に春の訪れという趣きです。

春うらら、心地好い環境のなかで自身の心を見つめて、人生をより良くいざなう仏教へのご縁を結んで頂きたいものと当山では願っています。明日13日は日蓮大聖人の御報恩御講、29日には日曜法話会を開催いたします。有縁の皆さまのご参詣・聴聞をお待ちしております。

相武山 山主

2012年04月12日

タロウ実家に帰る

昨年の12月から預かっていた甲斐犬の「タロウ」が去る3日実家に帰って行きました。タロウは愛川町の戸田さんの愛犬でした。ご主人が交通事故のために入院されることになり、お寺で3ヶ月半ほど一時お預かりしていました。ボブの生前の事で、リョウマと3匹の犬が本堂の横で戯れていました。タロウは熊のような顔をしていますから、一見こわそうですがとても人なつこく、お参りの方々から可愛がられていました。
また、タロウはうれしさ等がすなおに表現できる感情豊かな犬でした。戸田さんがとても可愛がっておられたことが伝わってきます。戸田さんが元気になられたので奥さんと一緒にお迎えにこられたということです。戸田さんが近づくとタロウは甘えん坊らしい表情で飛びついて行きました。とてもうれしかったのでしょう。戸田さんご夫婦も我が子をみるような優しい面持ちでした。

何も分からない「リョウマ」はぽかんとしていましたが、心なしか2・3日は淋しそうでした。犬は集団で生活する動物ともいわれていますから1匹では何となく寂しさを覚えていたのかもしれません。タロウがまた遊びに来てくれることを楽しみにしています。
可愛がってくださった方々に感謝申し上げます。

相武山 山主

2012年04月11日

春のお彼岸

今年のお彼岸(ひがん)は17日から昨日まででした。今年は桜のつぼみも堅いままのお彼岸となりましたが、当院では18日と20日に彼岸法要を執り行い、参詣の檀信徒の皆さまと、読経・焼香・唱題をお勤めし、ご先祖や有縁精霊へ真心からの追善供養を申し上げました。法要と法話の後に参詣者は、供養のためのお塔婆を持たれてそれぞれ墓所にお参りされていました。

お彼岸は我が国の仏教行事ですが、元々此岸(しがん)に対する言葉です。此岸とは煩悩(ぼんのう)に覆われた私たち愚かな凡夫が生活する世界のことであり、迷いと悩みと苦しみに満ちている世界です。彼岸とは諸法(しょほう)の実相(じっそう)を悟られ煩悩を断たれた、迷いと悩みと苦しみを離れた仏様の世界であります。
仏道は迷いの此(こ)の岸からさとりの彼(か)の岸に至ることを目的としています。此の岸から彼の岸には、流れが速く深く広い川がながれていますから、この川をどのように渡るかが問題です。渡ろうと志すことが発心(ほっしん)であり仏の道の基本となります。川を渡って行くことが仏の道の修行ということになります。修行といってもさまざまですが、お彼岸の時にあてはめれば、時間をつくって菩提寺(ぼだいじ)にお参りすることや、威儀を正して仏前に向い読経・唱題につとめること、仏祖三宝尊に供養をささげることや、説法を聴聞(ちょうもん)すること等々にあたりましょうか。

修行を為(な)したとしても直ちに彼岸にたどり着くわけではありませんが、仏の道では先取りして仏道修行に励むすがたに彼岸をみるのであります。我が国の文化習俗に溶けこんでいるお彼岸の意味を学び、自らの人生に活かして行くことは有益なことだと思います。今月は寒い日もあり例年よりも雨が多かったように思いますが、春はもうすぐそこまで来ています。鳥のさえずりも市民の森にわたるようになり、えさをついばむ姿もそこかしこにみられます。明日は11時から3月度の日曜法話会を開きます。有縁の皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

2012年03月24日