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相武山 妙法寺 ブログ

新盆を迎えて

6月下旬の猛暑から一転、7月中旬には戻り梅雨、そして各地で線状降水帯による水害と、誰もが天候の不順を覚えないわけにはまいりません。しかし、7月初旬からの蝉の声は途切れることはなく全国で月遅れのお盆を迎えます。

猛暑の夏、月遅れのお盆は我が国の風物詩ですが、お盆は仏教行事が1500年の歴史を経て文化となり習俗となって国民に定着しているものです。横浜や東京など明治から新暦で営む地域もありますが、全国的にはお盆といえば月遅れの8月に営む家庭が多いものです。

お盆そのものは仏教行事の一環ですが、一般的には夏の休暇や帰省などに利用する方が多く季節の言葉ともいえます。もちろん、菩提寺やお墓にお参りしたり、仏壇を調えてご先祖や有縁の精霊を自宅に迎える家庭も少なくありませんあい、家庭ではきっとお盆のいわれや家族・親族・友人などの近況も語られることでしょう。

同じお盆でも亡くなった方の初の新盆(にいぼん)を迎えるご家庭では特別な感慨を覚えることでしょう。昨年の夏までは言葉を交わしていた親しい方が今年はもういらっしゃらないのですから。
「お盆にはお家に還ってくる。お盆は家族と一緒に過ごしたいだろう・・・」という故人への想いが、お墓に迎えに行ったり、盆棚や盆飾りを作ったり、家族や親族、友人を食事に招いたり、迎え火や送り火というお盆の風情に表れています。

新盆は自宅で営まれるのが常ですが、時に事情によって妙法院で営む方もいらっしゃいます。妙法院では毎年前年の6月からその年の5月までに逝去された方々に、「新盆を迎えるにあたって」とのしおりを入れて新盆のご案内をしています。
その一端を紹介します。
「【新盆の迎え方】大切な家族である故人の御霊を自宅に迎えて、初めて倶に一時を過ごすのが新盆です。一般的には御本尊を祀る仏壇の近くに『盆だな(精霊だな)』を飾り、季節の野菜やくだもの、供養の料理等をお供えします。準備が調いましたら僧侶をお迎えし、故人と先祖のために読経・唱題をお勤め頂きます。お参りを希望されるご親族や友人には、僧侶来宅の時間などを予めお伝えします。時間外にお参り頂く方のためには、お線香やお焼香を準備しておき、お持ち頂いた供物などは盆だなの前にお供えします。」
というものです。
お盆は時代や宗派、地域や家庭によって異なりがあり一様ではありませんから、そんなに神経質になる必要はありません。故人への想いが大切なのです。とはいえ仏事はわからないことが多いと思いますので、不明な点があれば遠慮なく妙法院までお尋ねください。

今年も新盆のお参りを迎えます。当山で新盆を迎える方は旧知の方が大半、すべての方々が何らかのご縁があります。昨年の夏には熊木美代子さん、竹越敏弘さんがご逝去。共に約40年に渡るご縁を頂いていました。秋には関根サダさんからのご縁となる野中寿子さんがご逝去。
年末から春にかけては当山開創以来の法友である下條優理子さん、樺山明子さん、三浦ふじさんがご逝去。川崎の下條さんは昭和56年秋頃、樺山さんと三浦さんは昭和55年秋からのご縁です。それぞれ当山開創当時から共に信行に励んできた私にとっては大切な同志です。40年以上のご厚誼を頂戴していますから思い出は語り尽くせないほどあります。お一人おひとり個性豊かで真面目で明るく朗らかな方々でした。おもしろいエピソードも豊富にありますので機会があれば紹介したいと思っています。
幸いなことにご家族の方々が信仰を継承されており、今月は新盆のお参りにうかがう予定になっています。
新盆では故人が大切にしていた日蓮大聖人の教えに則り、法華経要品を読誦、南無妙法蓮華経のお題目をお唱えして、在りし日を偲びつつ追善御回向を申し上げます。

相武山 山主

 

2022年08月01日

暑中のブルーベリー狩り

7月30日(土)12時より妙法院北側の畑でブルーベリー狩りを楽しみました。ブルーベリー狩りは5年前から地元の櫻井さんのご厚意で行っています。この日は猛暑の中、午前10時からの境内草取り作務を終え体調を整えてからの催し。

10数名の参加者は始めに櫻井さんから『ブルーベリーは樹種によって味が異なり、樹種は同じでも樹によって味が違います。つまんで味見してください。黒く張りがあってポロリと採れるブルーベリーが良いと思います。ほとんど農薬は使用していないので、冷蔵庫で冷やして水洗いして新鮮なうちに召し上がってください』と丁寧な説明を受けました。

各自、櫻井さんから収穫用のフードパックを500円で受け取り早速畑の中へ。慣れている方もいれば初めてで戸惑いがちの方もいます。味見をしながらつまむうちに段々調子も良くなってきて、皆さん20分ほどもすればフードパックも一杯です。2パック~3パック収穫される方も多く、中には友だちから頼まれて10パックという方もいました。
当日の気温はかなり高く汗を流しながらの行楽でしたが皆さんとても楽しそうでした。最後は櫻井さんにお礼を申し上げて散会。

今年は6月下旬からの猛暑、7月中旬の戻り梅雨でその味を心配していましたが、まったく問題なく美味しいブルーベリーを採ることができました。櫻井さんのご厚意に感謝しながら私も新鮮な夏の味覚を頂戴した次第です。
ブルーベリー狩りは8月の1日(月)と8月13日(土)の両日、午後2時半からも行われますので関心のある方はご参加ください。

相武山 山主

2022年07月31日

猛暑に草取りと伐採樹木の搬出

7月30日(土)午前10時から境内の草取りと伐採樹木の搬出をしました。伐採樹木は新暦お盆の前後に伐採したものの搬出の機会がとれず、境内と駐車場に積み上げていたものです。この日は人手も得られそうでしたので軽トラックを借りての搬出。草取りは本堂前から三師塔前まで、月末から猛暑がぶり返し酷暑という表現がふさわしい中で皆さんに汗を流して頂きました。

途中、麦茶休憩をとりながら約2時間の草取り。お陰様で本堂の前もきれいになりました。搬出はブルーベリー狩りの後、夕方まで続きましたが、寺内だけでは草取りも伐採樹木の搬出も辛いので応援は大いに助かります。参加頂いた熊木さん、小原さん、柴さん、森さん、安西さん(2)、市川さん、終盤参加の中里さん(3)、ありがとうございました。

草取りや境内清掃作務は定期的に行われます。隔月発行の行事予定表でお知らせしますので、檀信徒の皆さまには菩提寺整備のためご協力をお願いします。

相武山 山主

 

2022年07月31日

夏季法門研修会

7月24日(日)午後1時から夏季法門研修会を開催しました。行事や法要の法話ではなく、法華経と日蓮大聖人の教えをじっくりと学ぶのが研修会の目的。妙法院では春夏秋冬の四季に開催し、それぞれ小憩を挟んで3時間ほど集中しての修学です。


昨春からは宗祖誕生800年を記念して正信会から発刊された「現代語訳法華経要品」を読み進めています。それぞれの研修会では「法華経の成立とその内容、インド・中国・日本三国の仏教史、法華経と日蓮教学、日興門流の法華経観」などを概観しながら、法華経の中心的思想と位置づけられる方便品を現代語訳で学びました。

私たちは日頃方便品の読誦は「唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相」と十如是までですが、方便品はその後、かなりの長さにわたって経典が続きます。宗開両祖の時代から近代まで「世雄偈」と称して読誦されてきました。現代でも丁寧に読誦されている僧俗が居られます。

十如是までは略開三顕一として略(ほぼ)三乗を開いて一乗を顕すことが説かれ、世雄偈では広く三乗を開いて一乗を顕すことが説かれています。そこには仏の出現の目的である「一大事因縁と四仏知見」が説かれ「三乗方便・一乗真実」が説かれています。仏さまはさまざまに教えを説かれますが、導く教えと修行の果得に差別があるのではなく、一仏乗としてすべての衆生を差別なく平等に救済されることが真の目的であることが示されるのです。

難しいことは置きまして、今回の夏季研修会では前回からの続きを読み進め、方便品のすべてを読了することができました。現代語に訳されていますから読むことはけっして難しくありませんが、易しい言葉の奥には大乗仏教の広く深い教えがこめられています。参加者の皆さんと丁寧に法華経の教えを学ぶ機会となりました。

日蓮大聖人の仏法は広範にわたりますが、所詮は「南無妙法蓮華経のお題目を受持する一行」に尽きます。しかし、教えを分に応じて学ぶように努めれば、その修学は修行に通じさらに信を深めることとなり、人生に生きがいと安心(あんじん)を与え、来世へのたしかな功徳を積むことになります。
これからも法門研修会を継続してまいりますので皆さまご参加ください。

相武山 山主

2022年07月30日

続・平等の思想

戻り梅雨も明け、猛暑の再来となった7月24日(日)、午前11時から7月度の日曜法話会を開催しました。
今月のテーマは「続・平等の思想」ー平等という視点から見える世界ー。『安倍元首相の暗殺、追悼と検証』でした。

レジメと参考資料として「安倍氏襲撃の新聞報道」「山上容疑者の手紙」「統一教会について」を配布。
はじめに当山の日曜法話会の趣旨を述べ、「世相に想う」では仏教が現実直視という立場であり、世相をないがしろにすることなく学びの機会としていることをお伝えしました。

はじめに安倍元首相暗殺事件の概要について。
「令和4年7月8日(金)午前11時31分頃、奈良市内の近畿日本鉄道大和西大寺駅付近で演説中の安倍晋三元首相が銃殺された。
参議院選挙の応援演説中の安倍元首相にマスクとメガネを掛けた山上徹也容疑者(41)が背後から手製の銃を持って近づき、約7メートルから1発目、さらに接近して3秒後、約5メートルから2発目を発砲。2発目が安倍元首相の致命傷となった。」ことを説明。
白昼万人注視の中で元首相が演説中に暴漢に襲撃され死亡したのです。

事件の概要を知ると「平和ボケか、油断か」と警備の有り様に疑問と不信を覚えます。誰もが「要人の警護は一体どうなっているのか?なぜ守れなかったのか?」と思ったことでしょう。警備関係者の猛省と問題の究明が早急に求められます。
安倍氏は医療関係者の懸命な努力にもかかわらず17時3分に死亡が確認。67歳の生涯でした。

次に「襲撃の動機」について。
犯行現場で取り押さえられ逮捕された山上徹也容疑者は「母親が宗教法人『世界平和統一家庭連合』(旧統一教会)に入って生活が苦しくなったことでこの宗教法人を恨む気持ちがあり、安倍元首相がこの宗教法人とつながりがあると思って狙った」という趣旨の供述をしていることを説明。
ここで参考資料として提供した「山上容疑者の手紙」を読み上げて、犯行直前の容疑者の心中を紹介しました。

続いて戦前からの内閣総理大臣経験者の暗殺事件は伊藤博文から斎藤実までの7件。また、西園寺公望や若槻禮次郎など数件の暗殺未遂事件を解説。戦後の総理経験者の暗殺は安倍氏がはじめて。戦後他殺された国会議員は安倍氏で5名。私は幼い頃の日本社会党の浅沼稲次郎が右翼の少年に刺殺された事件を鮮明に覚えているので、その事件についても紹介しました。

《テロと暗殺について》
参議院選挙渦中での襲撃事件のため「民主主義への挑戦・・・」と表現する人々も多いが、容疑者の供述によれば一般的な政治思想的なテロではなく、カルト教団「旧統一教会」への怨恨による犯行のようです。
日本大百科全書によればテロリズムとは「政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致による自由束縛など過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの」とされています。

したがって、今回の事件は社会に不安や恐怖を与えたが、報道によると容疑者の動機は「宗教的・金銭的・家庭的問題による個人的な怨念を晴らそう」としたものとみなされ、海外メディアでは今回の事件をこぞって暗殺『assassination(アサシネーション』という表現で報道していることを紹介。

《カルト集団とカルト教団》
今回の暗殺事件はカルト教団として知られる「旧統一教会への怨念」からの犯行と伝えられていますが未だ断定はできません。また、旧統一教会と安倍氏の関係、旧統一教会と自民党との関係もまだよくわかっていません。国民の一人としては時間を掛けてしっかりと事件の全容解明をしてほしいと願っています。

政治と宗教の関係は古今東西密接なつながりがあることは歴史の示すとおり。現代でも宗教団体が政治家を利用したり、政治家が宗教団体に支援を要請することは珍しことではありません。今回の事件も政治と宗教の根の深さと複雑さを教えているといっても過言ではなく、闇はかなり深いように思えます。

旧統一教会は印鑑や壺などを高額で売りつける霊感商法や驚くような高額献金を要求することで悪名が高かったのですが、彼らばかりでなくカルト集団やカルト教団が広く我が国にも跋扈しているというのは驚きです。オウム真理教で懲りたはずなのにカルトの餌食となる人は跡を絶たず、マインドコントロールされて人生や家庭が崩壊しても構わないというのですから嘆かわしいことです。

■カルト集団について
「偽装勧誘や強制による勧誘、団体内部での暴力や性的虐待、構成委員に対する経済的な収奪、組織的な詐欺商法などそして刑事事件となるような犯罪行為に及んだ集団、及んでいる集団こそ教育機関が対策を講ずべきカルトとなる。 このような活動を行う団体は何も宗教団体に限らない。」と解説。

■カルト教団
「過激で異端的な新興宗教集団をさす。英語圏では正統的キリスト教を「教会」church、その分派を「セクト」sectとよぶのに対し、異端的または異教的小集団を「カルト」とよぶ。ただしヨーロッパでは、カルトの同義語はセクトである。
カルトに分類される宗教集団は、現代では世界中に多数存在し、アメリカでは2000以上ある。カルトが世界的に社会問題となっているのは、強制的な勧誘によって入信させたり、多額の寄付金を強要したりして人権を侵害し、さまざまな反社会的行動をする教団が少なくないからである。反社会的宗教集団としてのカルトには、いくつか共通の特徴がある。

その特徴とは、第一に導師やグルとよばれたり、自ら救世主を名のるカリスマ的教祖をもつこと。第二にマインドコントロールといわれる心理操作のさまざまなテクニックを用いて入信させること。それは洗脳の一種で、信徒は自覚のないまま、主義、考え方、世界観を根本的に変えてしまう。第三に外部世界から隔離された場所で共同生活を営み、閉鎖的集団を形成し、そこからしばしば反社会的行動に走る。第四に神秘的、魔術的な儀礼を実践し、教義は異端的、シンクレティズム(宗教的折衷主義)的である。」ことを解説。

カルトの実態として
1969年にアメリカでチャールズ・マンソン率いるファミリーと名のる小集団が女優のシャロン・テートを殺した「シャロン・テート事件」。
1978年に南アメリカのガイアナの密林で、信徒900人以上が集団自殺する「人民寺院事件」。
1993年にはアメリカで「ブランチ・デビディアン」というカルトの信徒が建物に立てこもり、FBIと銃撃戦を繰り広げ、70人が集団自殺を遂げた事件。
日本では1986年(昭和61)に「真理の友教会」の女性信徒7人が、教祖の死を追って集団自殺を遂げる事件。
1995年(平成7)3月にはオウム真理教(2000年アレフ、2003年アーレフ、2008年Aleph(アレフ)に改称)の信徒による「地下鉄サリン事件」。を紹介。

インターネットの『知恵蔵』では
「過激な新興宗教団体。全米で2000以上あり、「救世主」を名乗る教祖を頂いた熱狂的信者の閉鎖的集団、という性格が強い。マインド・コントロールによる信者獲得、教祖への絶対服従などで、様々な社会問題、家庭問題を引き起こす。」との指摘を紹介。

■統一教会とは
今回の事件を引き起こした原因とされる旧統一教会については、詳しく説明するつもりでしたが、法話会の時間内では読み進めることができなくなったため、参考資料として配付した「世界平和統一家庭連合」を自宅でお読み頂くようお願いしました。
カルト教団の問題はとても深刻です。
個人や家庭の崩壊、社会の混乱をもたらします。ヨガで人を集め、いかさまの神秘主義を吹聴して、多くの人を惑わしたオウム真理教の事件をけっして忘れてはならないとお伝えしました。

安倍氏ヘの追悼については「追悼することと業績を検証考察することは矛盾しない。非業の死を哀悼しつつ、その政治の功罪を検証することが真の追悼。安倍氏の政治的功罪や影響は感情を離れて冷静に検証する。何ごともコインの裏表。すべてに正と負、プラスとマイナスが存在する」。
国葬については「決定が拙速に過ぎないか?しっかりと検討された決定なのか?法的根拠に則っているか?追悼の押しつけと強制は民主主義なじまない。現代に一人の政治家を英雄視したり神聖視したりするのは疑問」との私見を述べました。

結びに学ぶべきこととして
「安倍氏暗殺という世相に潜む個人と社会の問題を直視する(社会の中でさまざまな苦悩にあえぐ人々を皆で救済するべき、その道を切り拓く必要性、いつでも誰でも駆け込めるシステムを設置)。安倍氏の政治的功罪をしっかりと検証する(安倍氏の政治を肯定するか否定するかという二者択一ではなく、認めるべき功績は冷静に評価し、悪しき政策や言動は適切に批判する)。追悼の押しつけや強制は権威主義への道であり、民主主義と平等の思想にはなじまない。公人としての政治家、私人としての個人、一定の差別はあるが、平等の思想を忘れてはならない(安倍氏の死、赤木さんの死、今このときに考えるべき)。カルト教団への警戒を怠らない。宗教や信仰、スピリチュアルについて、正しい知識を学ぶ(怪しいところには近づかない)。平等の思想はカリスマや権威主義、呪術や神秘主義を否定し、不変の道理へと導く仏教の智慧。平等の思想を涵養して人間性を高め安らかな人生を歩もう」とお伝えして法話会は終了。

相武山 山主

2022年07月29日

新暦の盂蘭盆会

もどり梅雨のような天候が続いた7月13日、15日、16日の三日にわたって新暦の盂蘭盆会を執り行いました。妙法院では新暦の7月にお盆の供養をされる方と月遅れの8月にお盆の供養をされる方が居られます。したがって7月と8月の二度法要を執り行うことになります。以前は7月に参詣される方が多かったのですが近年は8月にシフトしているようです。

13日(水)は宗祖の報恩講とご一緒に追善の供養を営みました。15日(金)には法要に先立ち三師塔にて御報恩の読経・唱題を申し上げ、続いて永代供養墓久遠廟と樹木葬墓地での供養会を執り行いました。時折強い雨が降るなか午後1時から盂蘭盆会を奉修。
法要では参詣者の唱題の裡に住職が下種三宝尊への献膳。続いて塔婆が建立された精霊壇でも献膳。その後、法華経要品読誦、寿量品では参詣者が順次精霊壇に進み懇ろにお焼香。唱題を勤めて住職により先祖有縁精霊への御回向がなされました。

法要後の法話では始めに盂蘭盆会のいわれについて「盂蘭盆会は飛鳥の時代、推古天皇(西暦606年)十四年七月十五日斎会を設けたのが初めてとされる。当初は朝廷や貴族、有力者たちによって営まれていた仏教行事。江戸時代に檀家制度などによって庶民にも広まり今日では日本の習俗、伝統となっている。盂蘭盆の由来は目連尊者がその母青提女を餓鬼の世界から救う物語。慳貪の科によって餓鬼の世界に堕した青提女の姿を通して、我々凡夫が欲望に振り回され苦海に誘われることを誡めている仏教行事。また、関東などでは新暦7月15日に盂蘭盆会を執り行っているが、全国的には月遅れの8月15日が多く、旧暦で行う地域もある」と解説。

続いて7月は日蓮大聖人が立正安国論を時の為政者に建白された月であることから安国論の前段と末文を拝読。
「立正安国論に示された宗祖の仏教観は大乗仏教の精華たる法華経の具現化にある。それは釈尊の原始仏教やその後の上座部仏教にみられるように、特定の限られた人々が己の煩悩を断尽して専ら覚りを追求し、六道輪廻を解脱することをめざす自利の仏教ではなく、仏教の基本思想を修めながら現実世界の矛盾や不条理を超克して、自他共に仏国土の建設に努める大乗の仏教。また、日蓮大聖人の仏法は厭離穢土・欣求浄土を希求する浄土教のように娑婆世界を厭うのではなく、さまざまな障害のために仏道修行をおさめることが難しい現世であるからこそ、分に応じた仏道を修めて法華経への信仰を決定し、現世では刹那の成道に安らぎ、来世は法華経の説かれる霊鷲山に往詣する功徳を積む教えである」と述べ、仏道修行の一環として盂蘭盆会に参詣することもたしかな功徳であると法話を結びました。

今年の新暦のお盆はコロナ禍の第7波が押し寄せたことと、戻り梅雨による連日の降雨もあって例年よりも参詣者の少ない静かなお盆でした。

相武山 山主

2022年07月28日

歴史を通しての検証

参議院選挙の終盤7月8日(金)、白昼奈良市で安倍元首相が暴漢によって殺害されるという凶行が発生しました。選挙演説中の蛮行という政治テロに日本中が驚愕。世界中から安全安心の国と思われている我が国での政治テロは世界中に衝撃を与えました。ことに長く日本の政治に影響力を持っていた安倍氏の急逝は国の内外に大きな波紋を広げています。
容疑者の山上徹也(41)は現場で即刻逮捕。事件の背景と動機については容疑者の供述からカルト教団として名高い「旧統一教会」への怨恨であり、安倍氏がその教団の関連団体に賛意を示すなどの言動から短絡的に結びつけての凶行と報じられています。もちろん容疑者が犯行に及ぶまでの精神的経緯は複雑でしょうから、今後の厳正な動機と行動の究明がまたれます。

「如何なる場合でも暴力を振るってはいけない」とは異論のない世界の常識。しかし、個人による暴力事件は家庭でも地域でも社会でも世界中の至る所で常に発生しています。凶悪なテロ事件も世界中で頻発。さらに強権独裁国家による巧妙な人権抑圧の暴力も横行。極めつけはロシア軍によるウクライナへの一方的な侵略と残虐な支配。国家暴力が我々の眼前で今この時猛威を振るっているのです。

現代では誰もが「暴力は許されない」と主張しますが、視点によっては人類の歴史は暴力の歴史ともいえるでしょう。人間の本能に備わる資質ですから、個人でも組織でも社会でも具体的に意識して常に確認し誡めなければ吹き出してしまうのが暴力。程度の差はあっても基本的に人権が尊重され、かたちは異なっていても民主主義が認知される現代。それでも油断すればたちどころに鎌首をもたげてくるのが暴力です。ことに仏教徒は絶対の平等と非暴力を掲げているのですから暴力に対しては敏感でなければなりません。

今回の蛮行は安倍氏が突然凶弾に倒れるという実に衝撃的な事件。主義主張はちがっていてもその非業の死を悼まぬ人はいないでしょう。しかし、哀悼の意をささげることと、安倍氏の政治家としての功罪を検討することなく評価することはまったく別の問題だと思います。安倍氏の政策と言動については賛同し支持する人々も多いようですが、他方、批判する人々もけっして少なくないのが現実です。

中曽根康弘元首相はその自伝『自省録―歴史法廷の被告として―』に、「政治家は歴史法廷の被告である」と述べていますがけだし名言だと思います。この言葉は自身に向けての自戒であり、後輩政治家たちへの箴言だといわれています。やはり政治家の評価は歴史を通して検証されなければならないと思います。

総理在任期間が最長という安倍氏だけに、偉人視したり英雄視する発言も少なくありません。また、岸田政権は検討する余裕も与えず法的根拠が乏しいといわれる国葬を発表しました。感情に流されやすく同調意識が強いといわれる国民性は問題を混乱させやすいものです。私たち仏教徒は非暴力の旗をしっかりと掲げつつ、安倍氏に哀悼の意を持つが故にその歩みも正しく検証して行きたいものです。

相武山 山主

2022年07月27日

四表の静謐を祈る(下)

【断じて許されないこと】
独立した国はもちろんのこと、一人ひとりの尊厳と自由を奪って、他者を強制的に支配することは許されないことです。人類が長い時間をかけてたどり着いたのが、完璧なシステムではないかもしれませんが「基本的人権の尊重であり、個人の自由と民主主義の尊重」といえます。今回の蛮行はそれらのすべてを破壊した行為であるばかりか、暴力を持って自らの欲望を達成しようとするもので断じて許されません。

現代は個人も国も独立した存在として尊重される時代をめざしています。歴史上展開された奴隷社会や封建社会、帝国主義や覇権主義などはすでに否定されているのですが、「ロシアの夢、中華の夢・・・」という言葉が頭をもたげている現実は警戒しなければなりません。今、その一つが眼前で展開され、無惨にも人命が奪われ、戦火に怯え、逃げ惑う人々が悲嘆の涙を流しているのです。

争いは常に我欲(己の欲望)から生じ、他者を支配しようとして始まります。「如何なる理由があれ他者を支配することは許されない」ことを私たちは互いに確認し、共通認識としてその価値を共有しなければなりません。これは国家や民族、国や地域だけでなく、宗教や思想、人間同士の在り方にもいえることです。「違いは違いとして認め合い、互いを尊重する」ことによって争いは回避することができるのです。今回の侵略もロシアがウクライナを支配しようとしなければ発生しなかったのです。個人と個人の争いも相手を自分の思うようにしようとしなければ争いにまではなりません。どのような関係であれ他者を支配しようとするときに争いが起こることを皆が知識すべきです。

【ウクライナに想う】
私の学生時代、ウクライナは独立国ではなくソ連の一部でしたから、ウクライナはソ連を知識する一環としてのものでした。イメージは「ヨーロッパの穀倉、ソ連でも豊かな地域、東西交通の要衝にあり歴史と文化のある地域・・・」というものでした。その国旗は青い空と大地を染める小麦や国の花であるひまわりをイメージしていると聞いたことがあります。

若い頃、イタリア映画(1970年公開)の「ひまわり」を観ました。第二次世界大戦下のイタリアが舞台。そのあらすじは『ジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)がナポリの海岸で恋におち結婚。その後、アントニオはソ連の最前線に送られ行方不明となる。ジョバンナは何年経っても戻らない夫だが生存を信じて疑わない。終戦後、アントニオを探しにジョバンナは単身ソ連へ。しかし、広大なひまわり畑の果てに彼女を待っていたのは、美しいロシア人女性マーシャ(リュドミラ・サベーリエワ)と結婚し、子供にも恵まれて幸せに暮らすアントニオの姿。すべてを察したジョバンナは愕然としながら1人イタリアへ帰る。空虚な想いにおかされたジョバンナは・・・・・・』というもの。

名優と呼ばれたソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの演技はとても秀逸でしたが、タイトルにもなったひまわりがいちめんに映し出される場面も印象的でした。また、ヘンリーマンシーニの哀愁を帯びた楽曲がすばらしく私は今でもよく聞いています。監督はヴィットリオ・デ・シーカ。冷戦期にソビエト連邦で初めて撮影された西側の映画でした。この映画のひまわりの撮影地はウクライナの首都キエフ(キーフ)から南へ500キロほど離れたへルソン州ということです。
「ひまわり」は人間の複雑な情愛をテーマに戦争に翻弄される人々の人生とそのむごさを考えさせる映画でしたが、今、その撮影地が無惨にも戦争の舞台になってしまいました。一日でも早い平和を望むばかりです。

【四表の静謐を祈る】
日蓮大聖人は立正安国論に「国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思はば先づ四表の静謐を祈るべきものか。」と説かれています。うち重なる内乱や元寇など当時の世相をふまえて、宗祖が率直に庶民の生活を見つめていることがわかります。その上で「我が身の安堵は世界の泰平による」ことを教えています。

今回のロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵攻は、世界中の叡智と祈りを集めて速やかに収束しなければなりません。また、この悲劇を繰り返さないためにも今後事態をしっかりと検証することが求められます。そして、現代に生きる私たちはウクライナの悲劇を我が身に引き寄せ、戦争と平和について深く自問自答しなければならないと考えます。一刻も早く戦火が止みウクライナに平和がもたらされることを祈り、ささやかでも自分にできる反戦平和の行動を倶に実践いたしましょう。

相武山 山主

2022年02月28日

四表の静謐を祈る (上)

深い悲しみと強い憤り

私は去る2月25日からウクライナの戦火が速やかに収束することを朝夕御本尊に祈念しています。また、戦禍の犠牲となられた人々、物心両面に甚大な被害を蒙られた人々、恐怖と不安におびえる人々、すべての方々に安らぎがもたらされるよう祈りを捧げています。私は何らの力もない一凡僧ですが大乗仏教信仰の上から祈りには力があると堅く信じていますので、心をこめて法華経要品の読誦、南無妙法蓮華経の唱題につとめる日々です。一切衆生の安寧を願う日蓮大聖人の教えを信仰する当山檀信徒の方々も同じ想いではないでしょうか。

【ロシア軍がウクライナに侵攻】
振り返れば昨秋よりロシアのウクライナ侵攻は予想されていました。昨年来ウクライナの近郊にはロシアの大軍が終結しており、隣国ベラルーシとも合同軍事演習を開始していたからです。アメリカも昨秋からロシア軍がウクライナに侵攻するまで的確な情報を世界に発信して、ロシアによる侵略行為や戦争を回避するために世界の国々に注意を喚起してきました。

しかし、残念なことに2月24日、プーチン大統領の「特別軍事作戦」という命令によってロシア軍がウクライナに軍事侵攻。21世紀の現代、前世紀の二度にわたる世界大戦の悲惨さから、各国の政治リーダーの誰もが戦争の愚かさを知悉しているものと思っていましたから愕然としました。とはいえ、第二次大戦後も今日まで世界各地での紛争は枚挙に暇がなく、さらには大規模なテロも少なくはありませんでしたから、つくづく人間のエゴと強欲、愚かさには驚愕するばかりです。

通信機器やそのシステムが格段に向上した現代。戦争もリアルタイムで報じられます。自宅に居ながらにしてテレビやネットから、ロシアの戦車や軍事車両の進軍とその砲撃、ミサイルなどの爆撃を目の当たりにすることは複雑な思いです。しかし、戦場と化したウクライナでは自らの国土と国民、自由と独立を守ろうと覚悟したゼレンスキー大統領のスピーチがウクライナ国民の士気を鼓舞しています。大統領の命をかけた演説や家族の無事を祈りながら戦地に向かう人々の姿に、単純で感情的な私は胸がぐっと熱くなりました。

他方、ロシアの軍事侵攻はウクライナの軍事施設ばかりでなく、首都キエフや第二の都市ハリコフなどを中心に民間施設にも及んでいますから、ウクライナ国民は戦場となってしまった住宅から避難する他ありません。幼い子どもの手を引き、老いた祖父母を労りながら、着の身着のままで避難する人々の嘆きとやつれた姿に接するとき、胸がしめつけられ目頭が熱くなるばかりです。世界中の心ある人々もこの現状に深い悲しみと強い憤りを禁じ得ないでしょう。

【傍観者であってはならない】
『自由と民主主義、ウクライナの独立と尊厳』を強く主張し、徹底抗戦をうったえるゼレンスキー大統領の対ロシア政策や軍事対策にも、『犠牲者を少しでも少なくするためにはロシアに妥協するべきだ』などという意見や論評があります。それらの意見にも当然一理はありますが、そのいずれかを決めるのはウクライナの国民です。『自由と民主主義、国や地域の独立と尊厳は尊重されるべき』との価値観を共有する者は、連帯して彼らを力の及ぶ限りしっかりと支援しなければならないと思うのです。

私たちはけっして傍観者であってはならず、愚かな蛮行を強く批難する声を上げ、遠国であってもウクライナの国民のために、戦争の収束と平和への祈りをささげ、支援の実行に努めて行きたいものです。

世界には専制独裁の国家はけっして少なくありません。また、現実に内戦状況の国や地域もあり、さらに戦火を交えるのではないかと心配される国や地域もかなり存在しています。前の大戦以来ほとんど戦争の影を感じることがなかった我が国は恵まれた環境にあるといえますが、そのような我が国でもロシアとの北方領土問題、中国との尖閣諸島問題、韓国との竹島問題をかかえています。
また、資源が乏しく海外との交易で経済を回している我が国にとってシーレーンの安全確保は重要事項です。そのシーレーンも中国の海洋進出によって東シナ海や南シナ海など不安定な状況となっているのが現実です。

さらに独裁専制の北朝鮮は人民の疲弊を顧みることなく軍備拡張に走り、いつ暴走するかわかりません。共産党独裁専制の中国は台湾への武力支配を隠そうとはしていませんし、その国内でもチベット地域や新疆ウイグル地域などでの人権侵害は深刻です。東南アジア諸国でもミャンマーでのクーデターや専制国家での人権と自由の問題は隠せません。

私たちは幸いにも比較的安全で安心できる国で生活していますが、人権や自由、平等と民主主義という価値観を否定する国家や体制も少なくないのですから、それらの大切さを常に確認しうったえて行くことを忘れてはならないと思うのです。泰平にあって未明の危機を忘れずです。

侵略したロシアでも各地で反戦デモが起こり、数千人が治安組織によって拘束されたと伝えられています。しかし、多くのロシア国民はプーチン大統領による「ディスインフォメーション(人を欺き、混乱させるための偽情報)」によってコントロールされているようです。諜報機関の手法を縦横無尽にしかも躊躇なく駆使する彼によって支配されるロシアには、現在のところ残念ながら健全な民主主義も真の自由も存在していないように思えます。プーチン大統領の狂気を即時に停止できるのはロシア国民ですから覚醒してほしいものです。

【ロシアとプーチン大統領】
軍事侵攻を命じたプーチン大統領は20年という長期にわたりロシアに君臨。民主主義とは名ばかりの専制独裁政治を敷いています。彼を批判する者は陰に陽に排除されていることは識者の常識といっても過言ではないでしょう。もちろん、彼の国でも彼やその政治を批判する者は一部存在しますが、生命の危険にさらされたり家族や親族に害が及ぶこともあって、人権や自由が保証されている民主主義国家とはいえません。

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の意図はメディアで各方面から分析されていますが、一言で表現すれば「どのようなかたちであれウクライナをロシアの支配下に置く」ということだと思います。

現在のロシアはソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が崩壊して誕生した新生ロシア。共産党による一党独裁であったソ連邦はゴルバチョフ書記長の進めたペレストロイカ(改革)によって1991年12月に崩壊。民主化されたロシアはエリツィン大統領を選出し、さまざまな意味で困難な歩みを続けました。1999年、健康を損ねたエリツィン大統領から後継指名されたのがプーチン氏。

彼はあらゆる手段を用いて権力の維持に腐心し、世界の大国としてのロシアにこだわってきました。今回の侵攻も2014年のクリミヤ併合からウクライナ東部の親ロシア地域の独立活動を利用し、用意周到に計画を練り実行されたものです。冷徹で計算高く目的のためなら残虐行為もいとわないい性格として知られるプーチン大統領ですが、今回は核の使用まで口の端に上げていますからその狂気が心配です。やはり独裁者の存在を許すことは危険であることを実証しています。

相武山 山主

2022年02月28日

三毒を見つめて

2月20日(日)は2月度の日曜法話会。仏教に親しむのテーマは「三毒をみつめて ー己の心を涵養し穏やかに生きるー」でした。1月の法話会同様、はじめて参加された方もおられましたので、当山の日曜法話会の趣旨について「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解願いたい。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい」と述べ、仏教寺院の役割についても説明。法話会が「世相に想う」と「仏教に親しむ」の2部構成であることもお伝えしました。

「世相に想う」については『仏教は現実直視であること。神秘主義や不思議世界には遊ばない。あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではない。大乗仏教の精華である法華経では諸法は実相と説かれている』ことなどから『起こる事象はすべて学びの対象であり、眼前の事物・事象を自分がどのように観ているかを認識し、自らの人生に活かそうとしているかが問われている』と述べました。

【世相に想う】
今月の世相に想うのテーマは「北京オリンピックとウクライナ危機 ー 平和の祭典と戦争の危機 ー」でした。2月4日からの冬季オリンピック北京大会はこの日が最終日。大会前のボイコット騒動について、中国の人権問題や一方的な海洋進出などを理由に欧米の一部の国が政府関係者の出席を見送ったこと等を紹介。

ネガティブな話題の次は「アスリートの活躍」のお話。『資質に恵まれたアスリートが技量を磨き上げて大会に参加している。近年はメンタルトレーニングも強化されている。スポーツは勝ち負けが明確に判定される厳しい世界。勝っても負けてもすばらしい感動が残るのがスポーツ。人生のすべてを大会に集中させるアスリートのすがたは観る者を感動させる。アスリートは自己と他者との真剣勝負。試合後のアスリートの語ることばに深く感動する。新しくフレッシュな選手の登場と熟練ベテラン選手との世代交代。大会にふれた誰もがアスリートから元気をもらったのでは。』等々所感を述べました。
問題も・・・としては『納得できない判定もある。不信と不安のドーピング問題。大会の政治利用など・・・』についても言及しました。

続いて「ロシア軍がウクライナに侵攻か」では、ロシア軍の動き「2021年秋頃からロシア軍がウクライナ国境地域に大規模展開。すでに2014年ロシアはウクライナ領のクリミヤ半島を併合した。ロシアの現状と思惑・・・。ウクライナのEU、NATO加入を阻止したいロシア」について解説。

次に世界各国が戦争回避に動いていることを紹介。『世界中の政治経済活動に大きな影を落としている。世界のあらゆる活動は私たちの生活(衣食住)にも影響している。今回の騒動も個人や国のエゴが表面化したもの。戦争に勝者はいない。残酷で悲惨な事態を回避するためみんなで世界の平和を祈ろう』と所感をお伝えしました。

【仏教に親しむ】
第2部の仏教に親しむのテーマは「三毒をみつめて ー己れの心を涵養し穏やかに生きるー」でした。はじめに「仏教の目的は苦悩からの解脱」であることを解説。釈尊の成道伝『ウダーナ(原始仏典)』から
「実に世尊は、仏眼で世間を見渡すと、衆生が貪欲によっても生じ、瞋恚によっても生じ、愚痴によっても生じる多くの苦悩によって悩まされ、多くの熱悩によって焼かれているのを見た」。
「比丘たちよ、常に自らの心を観察すべきである。すなわち、この心は長い間貪欲によって、瞋恚によって、愚痴によって汚されていると。比丘たちよ、心が汚れているから、衆生は汚れる。心が浄まるから、衆生は浄まる」。を紹介。

苦悩の源は三毒(貪欲、瞋恚、愚痴)にあり、仏教では常に自らの心を観察して心の汚れを浄め、解脱の安らぎを得ることが目的であることを述べました。

【三毒(貪欲、瞋恚、愚痴)】
次に「煩悩」は仏教で説く衆生の身心を煩わし悩ます精神作用の総称であり、この煩悩の基本的なものとして、「三毒」「三垢」「三不善根」といわれる貪(執着)・瞋(憎悪)・痴(無知)があることを解説。

三毒とは人間のもつ根元的な3つの欲望のこと。自分の好むものをむさぼり求める貪欲,自分の思うようにならぬことに怒りを覚える瞋恚,ものごとに的確な理科と判断が下せずに迷い惑う愚痴のことです。仏教では煩悩のゆえに業が展開し,煩悩と業とが原因となって生(苦的生存)が結果するという生死輪廻の因果が説かれます。

「貪欲」は『欲しいものなどに対して執着する心のこと。貪欲は煩悩の中でもあらゆる苦しみにつながる根源的なもの。むさぼる対象は衣食住から学歴や就職、地位や名誉、恋愛や人情などの精神世界まで人生の万般に及ぶ。欲するものへの執着が強ければ強いほど得られぬ苦悩は辛く深い』。

「瞋恚」は『思うようにならぬことに怒りを覚えること。いかりの対象は家族や親族、友人や知人などの人間関係はもちろん、自身の置かれている環境や社会のシステム、さらには自分自身に向かうこともある。この怒りは自分の思うようにならないことによって生ずる。いかりは強いエネルギーを発し、時には自他共に破壊してしまうこともある(健康を害する)。自分の思い通りにならない事へのいかり、他者への妬みや憎しみの心をコントロールするための「アンガーマネジメント」も存在』。

「愚痴」は『真理を知らず、物事の理非の区別がつかないこと。ものごとの真理を学ぶことも認めることもなく、感情のコントロールもできずに愚かしい生き方をすること。生老病死という人生の変遷が理解できなかったり、環境や社会のありようや動きを理解できずに迷惑すること(諸行無常が理解できないなど)』。
と三毒について解説。

誰もが心に三毒を内在しており、その有り様をみつめて、制御することが安らぎへの道となることから『あらゆる物事に強く執着する心を捨離することができれば苦しみから解放される。仏教では「思い通りにならない事を苦しみ」という。人生は思うようにはならないことが多いのでさまざまな苦悩を味わう。仏教で説く「諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静」を理解できれば三毒を乗り越えることができる」とお伝えしました。

この後のスッタニパータの引文で法話会の時間はタイムオーバーとなり、次回に続編をお話しすることになりました。

相武山 山主

 

2022年02月27日