相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

衆生本有の妙理を観る

月遅れの8月のお盆には今年もご縁のある方々が三々五々お見えになられました。本堂に上がってお参りされることはなくても、本堂の前や三師塔の前でお参りされ各墓所や久遠廟に向かわれ有り難いことと思った次第です。お参りされた諸精霊もきっと悦ばれておられることでしょう。

故人を偲ぶ心がなければお参りしようという思いは生じないのですから、お参りされるその姿には故人や先祖を思う確かな心があるのがわかります。仏教では身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)を調えることが大切と説かれますが、仏教では「心に思い、言葉によって伝え、行動で顕す」ということが求められます。心で思っているとか言葉で伝えたという方がいますが、やはり行動に現れてこそ、その思いは通じることになるのです。

当山では12日、13日、15日の三日間、盂蘭盆会の供養を執り行いましたが、13日は宗祖日蓮大聖人の月例のご報恩講であり、15日は終戦記念日で戦没者追善法要が主体でした。それぞれに勤行をつとめ法要の趣旨にそったご祈念を申し上げした。
その後、一生成仏抄
『夫れ無始の生死(しょうじ)を留めて、此の度決定して無上菩提を証せんと思はば、すべからく衆生本有(ほんぬ)の妙理を観ずべし。衆生本有の妙理とは妙法蓮華経是れなり。故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば、衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり。文理真正の経王なれば文字即実相なり、実相即妙法なり。唯所詮一心法界の旨を説き顕はすを妙法と名づく。故に此の経を諸仏の智恵とは云ふなり。
一心法界(いっしんほうかい)の旨とは十界三千の依正(えしょう)・色心(しきしん)・非情草木(ひじょうそうもく)・虚空刹土(こくうせつど)いづれも除かず、ちりも残らず、一念の心に収めて、此の一念の心法界に遍満するを指して万法とは云ふなり。此の理を覚知するを一心法界とも云ふなるべし。
但し妙法蓮華経と唱へ持つと云ふとも、若し己心(こしん)の外に法ありと思はば全く妙法にあらず、麁法(そほう)なり。麁法は今経にあらず、今経にあらざれば方便なり、権門(ごんもん)なり、方便権門の教ならば、成仏の直道にあらず。成仏の直道にあらざれば、多生曠劫(たしょうこうごう)の修行を経て成仏すべきか。故に一生成仏叶ひがたし。故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は、我が一念を指して、妙法蓮華経と名づくるぞと、深く信心を発(おこ)すべきなり』 を拝読。
『衆生が迷妄をはらい苦悩を乗り越えて真の安らぎを得る成仏の境地は、自身に備わっている本有の妙理を観ることであり、その本有の妙理とは妙法蓮華経であるから、一心法界の旨を心得て、我が心の中に妙法が存在することを深く信じて唱題に努めることが大切』
と日蓮大聖人の御心をお伝えしました。

参詣者の皆さんは猛暑の中、菩提寺まで足を運び、御宝前に供養をささげて信行の功徳を積まれました。盂蘭盆の時にあたってご先祖有縁精霊にご回向されたことは、あらゆる存在はすべて妙法のはたらきによるものであることを信じ敬う志を顕したものであり尊いことと存じます。

相武山 山主

2018年08月31日

新盆とお経参り

仏教では逝去された方がはじめて迎えるお盆を新盆または新盆とよび、例年と異なり丁寧に仏事を営むのを常といたします。当山でも今年は平塚市の足立さん、中区の𠮷田さん、同じく𠮷田さん、多摩区の石井さん、緑区の阿部さん、港南区の加藤さんの新盆供養にお参りしました。

お盆については前のブログでそのいわれや歴史を少々解説しましたが、お盆はどこでも同じだろうと考える方も多いようです。しかし、お盆も時代や地域、宗派や各家庭などによって異なりがあり一様ではありません。まして、現代の社会環境では昔のように玄関前に迎え火を焚き、墓所に御霊を迎えに行ってひと時を過ごし、送り火を焚いて見送るということも難しくなっています。私は今の時代、その家や家族に見合ったお盆で良いと思っています。

ところで、新盆はご先祖を迎えて共に一時を過ごすというよりも、幽明境を異にした家族を親しく迎える一時のような気がします。つい先日まで一緒に生活していた家族が今年はその姿を見ることができないという、まさに人生の無常を感じての営みであり、思いやりの情愛がにじんで来るようなたった一回の仏事です。今年の夏も対象となるすべてのご家庭で新盆のお参りをさせて頂きましたが、各ご家庭ごとに皆さまの優しさが伝わってきました。

また、当山では開創当時から夏を中心に檀信徒宅の御本尊様にお参りする「お経参り」をしています。お盆経や棚経などと同じ気持ちで始めたのですが、各ご家庭にうかがってともに読経・唱題をお勤めして、「ご家族の信行増進とご健勝、ご先祖有縁精霊への追善供養」を申し上げています。お経参りは親しく言葉を交わす好機でもありますから大事にしているのですが、日時や双方の都合がつかず毎年10軒~20軒ほどしかうかがうことができません。

今年お参りにうかがって自分でも驚いたのは港南区の中澤宅が7年ぶり、都筑区の森家が6年ぶり、多摩区の芦川宅が4年ぶりということで、その他も数年ぶりということでした。忙しさにかまけてずいぶん失礼していたと反省しています。お寺では交わせぬ話もご家庭でうかがえることができますし、ゆっくりと言葉を交わすことで信頼も深まることになりますからこれからは興厳房と共に精進したいと思っています。

相武山 山主

2018年08月30日

8月の日曜法話会

【お盆のいわれ】

8月の日曜法話会は12日でした。猛暑が続く日々でしたがこの日は少し雲も出て若干過ごしやすい感じのなかでの法話会。
参加者はいつもおなじみの方々でした。はじめの世相のテーマは「お盆のいわれ」について。我が国の伝統習俗としてすっかりなじみのあるお盆ですが、俗信がそれぞれに語られることが多く、そのいわれを知る機会が少ないものです。そのいわれと歴史を学んで「お盆」の意義を人生に活かせればと思い以下のようにお伝えしました。

お盆はサンスクリット語の「ウランバナ」「ウド、ランブ」(ud-lamb)の音写語と言われ、倒懸(さかさにかかる)という意味で逆さづりのような苦しみのこととされるが、インド仏教で先祖を敬い供養する儀式が存在していたことは伝えられていない。しかし、釈尊の弟子の目連尊者が餓鬼道に堕ちた母親青提女(しょうだいにょ)を神通力で救うことができず、釈尊の教えにしたがい、雨安居(4月15日から3ヶ月)の修行を経て功徳を積んだ修行僧の功徳を回向することによって、母親を餓鬼の世界から救うことができたとする盂蘭盆経がその由来となっている。

中国では『仏祖統紀 』(南宋時代)に梁の武帝の大同4年(538年)に同泰寺で盂蘭盆斎を設けたとあり、梁の武帝と同時代の宗懍が撰した『荊楚歳時記』には、7月15日の条に、僧侶および俗人たちが「盆」を営んで法要を行なうことを記し、『盂蘭盆経』の経文を引用している。このようなことから仏教寺院では盂蘭盆会が行なわれていたことがわかる。
一般に広がったのは仏教者以外の人々が7月15日 (旧暦)を中元節(中元)といって、先祖に供物し灯籠に点火して祖先を祭る風習による。両者が一つとなって、盂蘭盆の行事が盛んになっていった。

日本では日本書紀から、推古天皇14年(606年)4月、毎年4月8日 (旧暦)と7月15日に斎を設けるとあり、また斎明天皇の3年(657年)には、須弥山(しゅみせん)の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けたと記され、その5年7月15日には京内諸寺で『盂蘭盆経 』を講じ七世の父母を報謝させたと記録されている。
聖武天皇の天平5年7月(733年)には大膳職に盂蘭盆供養をさせ、それ以後は宮中の恒例の仏事として毎年7月14日 (旧暦)に孟蘭盆供養、盂蘭盆供が執り行われた。奈良、平安時代には毎年7月15日に公事として行なわれ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」(せがきえ)をあわせて行なった。
お盆は太陰太陽暦である和暦(旧暦)の7月15日を中心に祖先の霊を祀る行事であり、一般に仏教の行事と認識されているが、江戸時代の檀家制度のもと神道における祖先崇拝の思いをおさめ、各宗の信仰や地域融和の習俗として工夫され庶民生活に浸透して今日に至っている。

お盆の行事から学ぶこととして、お盆には『己れの持つ貪りの愚かさを自覚すること、私たちは先祖の命を受け継いでいること、 仏教で説かれる慈悲の心に気づくこと、限りある人生が三世に通じていることの大切さ』が説かれていることをお伝えしました。お盆は静寂の時間を得ながら、家族とともにリラックスして『自身の生命の継承を考え、生と死を見つめて、人生如何に生きるべきか』を考えるひとときでもあります。

【続・日本の仏教】

法話会のメインテーマは『続・日本の仏教』。平安時代初期の仏教の担い手であった慈覚大師円仁と智証大師円珍について学びました。
奈良時代の後半には仏教が政治に深く介入して、過度な仏教中心政策がとられる弊害もあったことから、桓武天皇は、遷都に伴って南都の大寺院(興福寺・東大寺・西大寺・薬師寺・元興寺・大安寺・法隆寺)を長岡京・平安京に移転することを認めず、最澄や空海らによってもたらされた、従来の国家仏教とは異なる新仏教の動きを支持しました。

平安京に遷都してから9世紀末ころまでの文化は、嵯峨天皇・清和天皇の時代の元号をとって弘仁・貞観文化と呼ばれます。この時代は、政治的には新しい都で律令制を改革して文章経国がはかられ、貴族たちは平安京において都市貴族化する一方、文化的には唐文化を摂取して自らのものに消化するという段階を迎え宮廷では漢文学が発展しました。また、仏教界では新たに最澄や空海らによって伝えられた天台宗・真言宗が広まり密教(みっきょう)が盛んになりました。
天台宗では最澄の後、弟子の円仁・円珍らによって本格的に密教が取り入れられ、東寺などを中心とした真言宗の密教(東密とうみつ)に対して台密(たいみつ)と呼ばれる天台密教を構築しました。天台・真言の両宗ともに現世利益を説いて天皇や貴族たちの帰依を広く集め、一門の繁栄と国家・社会の安泰を祈ったのです。円仁・円珍両師は共に唐にわたり平安初期の日本仏教に大きな影響を与えました。歴史をよく学び現在に至るながれを理解することは仏教においても大切なことですから、これからも地道に見識を磨いて行きたいものです。

来月の日曜法話会は9月9日です。仏教はより良い人生の手引きとなるものですから、ご縁のある方々と共に親しみ学んで行きたいと願っています。皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

 

2018年08月29日

面影を偲んで

記録的猛暑が続く今月の4日(土)、今井家の法事が当山で営まれました。お父様宏さんの17回忌とお母様の静子さんの23回忌を併せて執り行った法要で、ご夫妻と二人の娘さんのご家族が参詣されました。
今井さんのご両親、ことにお母様は当山にとってとてもご恩のある方です。開創当時、保土ケ谷の道場にお訪ね頂いてからのご縁で、霊山に旅立たれた平成8年まで約15年間にわたりご交誼頂きました。
静子さんは幼い頃から人生のさまざまな苦労と向き合い、それらを乗り越えてこられた方でしたから、何ごとにも冷静で落ち着きのある方でした。また、幼い頃から仏縁を大切にして来られたようですが、日蓮大聖人の教えに巡り会ってからさらに信心を深めたいと思うようになったと仰っていました。法華経と日蓮大聖人の教えに誠実で信心深い方でした。

今井さんには当山にご縁を頂いてから3年後の頃より、坂上シゲ子さんと一緒に法華講会計係を長くお務め頂きました。保土ケ谷の正信寮から新横浜岸根の道場では多くの方々が講費の件で静子さんにお世話になられたことと思います。講員の方々とのふれあいの折りには、常に菩提寺を護ることの大切さや信仰を人生の柱とされるよう皆さんに伝えていました。ほんとうに当山の縁の下の力持ちさんでした。

ちなみに現在の妙法院に至るきっかけの一つが今井さんの『小さくても良いから自分たちのお寺を建てたいね』という言葉でした。日蓮正宗という教団を離れて日蓮大聖人の真の教えを求めるためには環境は二の次と考えていた私に、『信徒にとって安心してお参りできるお寺、子どもや孫たちが笑顔で集えるお寺はやがて必要でしょう』と仰っていました。そのような声があちらこちらから寄せられて現在の相武山妙法院が存在しているのです。

平成6年、新横浜にほど近い神奈川区の羽沢町に自前の道場が落成した翌年、今井さんは病にたおれました。ぜんそくや肺の病で病院にかかることも多かった今井さんでしたから、病いの発見が遅れたことはとても残念でなりませんでした。しかし、芯の強い今井さんは深刻な病状を告げられてもジタバタされる風情は微塵もみせず、特別な治療を求めることもありませんでした。すべては御本尊様におまかせし、最後の数カ月は息子の均さんのお宅で過ごされ、諸事万端手配を怠らず、平成8年1月3日、65歳を一期に静かに霊山に旅立たれました。

仲の良いご夫婦でしたから静子さんはご主人のことをとても気にかけて居られましたが、愕然とされたご主人も均さん夫妻やお孫さんの情愛に恵まれて穏やかな生活を送ることができ、7年後の平成15年に逝去されました。

日頃からお盆や春秋のお彼岸にはご両親や有縁精霊への供養を心がけておられる均さんご夫妻ですが、子どもや孫たちにも仏教の追善供養や法事の在り方を見せておきたいとお考えになり、猛暑の中、ご両親の23回忌と17回忌を営なまれた次第です。ご両親も御仏大聖人様のお側できっと今井家の皆さまの思いをよろこんで居られることと存じます。私も読経・唱題をつとめながら在りし日の静子さんとご主人の面影を偲ばせて頂きました。

相武山 山主

2018年08月28日

わらべ会 夏のつどい

逆走台風12号の関東地方上陸も予想されていた29日(日)は恒例となった「わらべ会 夏のつどい」を開催。気象庁の詳細な予報から当日の関東直撃は避けられると判断していましたが、台風は関東地方から離れて行ったものの、時折強い雨が降る空模様でしたので、空を見上げて気をもみながら子供たちが集うのを待ちました。

世話人の方は準備のために早めに集まっていましたので、境内清掃の用意や流しそうめんなどの準備をして頂きました。定刻の10時半頃には子供たちも集まりはじめ、 興厳房の司会進行でわらべ会は開始。はじめにみんなでお題目を三唱。続いて方便品と自我偈の「練経」、私が一節づつ丁寧に読み上げて、子どもたちに続いて読み上げてもらいましたが、慣れないことでもあり、声も小さくてどうも気合いが入らないようでした。子供の時には意味がわからなくても、いつか仏教や信仰と向き合うときがきたら、思い出してくれるのではないかと希望しています。

練経の後には『大きな声でアイサツをしよう』と子供たち伝えました。普段の生活の中で『おはようございます。こんにちは。こんばんは。おやすみなさい。行ってきます。ただいま。お帰りなさい。いただきます。ごちそうさまでした。・・・』と、お父さんやお母さんに声に出してアイサツすることが大切だということです。そしてもう一つ『ありがとう』と何ごとにもすなおに言える子になってほしいと伝えました。

続いて興厳房による「お香について」。黒板にアジアの地図を書いて香木の産地とさまざまなお香について説明。さらに実物の各種の香木を手に取り、香木片を焚くとその違いに子どもたちも興味津々でした。続いて乾いたシキミと薬研を取り出して、シキミのお香作りを実習。御本尊様にお供えされているシキミが抹香に変化して強い香りを放つことを知りました。その後はいつものように「太鼓の練習」。初めに紙のバチで練習してから本番です。音には敏感に反応する子どもたち、太鼓の練習を楽しみました。

子どもたちが本堂で学んでいるうちに、境内では世話人の方々境内の草取りと清掃に汗を流し、続いてテントを張り、流しそうめんとバーベキューの準備をしてくれました。各行事の準備は私と興厳房だけではできませんので、世話人有志の方々のお手伝いは有り難い限りです。

お昼は流しそうめんとバーベキューを子どもたちと大人が一緒になって愉しく頂きました。ランチが済むとまだまだ元気な子どもたちは本堂に戻って、小原さんと興厳房の手引きで「まちがい探しゲームと魚釣りゲーム」のレクレーション。30分ほど遊ぶと今度はスイカ割りです。幼い子から小4の子まで歓声を上げながら楽しみ、最後は割ったスイカをみんなで美味しく頂きました。

今年のわらべ会の結びは地元桜井さんのご好意による「ブルーベリー狩り」です。当山から徒歩3分の桜井さんのブルーベリー畑にみんなで向かい、深い紫色のふくよかなブルーベリーを摘み、『おいしい、おいしい・・・』と言って味見をしながらパックに積めました。収穫するというのはとても愉しいもの。初めての試みでしたが大変好評で『来年も是非・・・』と桜井さんにお願いしました。

畑から本堂にもどり参加者一同にてお題目を三唱。本堂前で記念撮影をして今年のわらべ会夏の集いは終了です。子どもの参加者は12名、大人は保護者と草取清掃協力も含めて約30名でした。
皆さんご参加ありがとうございました。

相武山 山主

2018年07月31日

興信寺落慶法要

日本列島を東から西に走り抜けた台風12号。日本に来る台風は通常西から東に向かうのでまさに逆走台風でした。その台風12号が接近する7月28日(土)、新潟県長岡市の興信寺(高橋信修住職)本堂落慶入仏式が奉修されました。
法要へのお招きを頂きましたので当日の朝台風の直撃を心配しながら東京駅へ向かうと、夏休み入りの土曜日であるためか、いつもより乗客が多い感じで上越新幹線も臨時列車が編成されていました。夏休みというばかりでなく、越後湯沢でフジロックフェスティバルが開催され、アメリカからボブディランが来演ということのようでした。ちなみに大勢の人々が越後湯沢駅で降車して行きました。上越新幹線の長いトンネルを抜けて長岡が近くなってくると、関東地方の雨空が曇り空に変わり長岡駅に着く頃には青空が広がっていました。

興信寺は長岡法遊寺(高橋信行住職)僧俗が正信覚醒運動の未来への展望を願い、平成12年夏に建立護持会を設立し、中越地震という大きな災害を乗り越えて平成21年春に建立された寺院。今まで庫裡と狭隘な仮本堂というかたちで活動してきましたが、僧俗渾身の精進によって昨年夏に上棟式を執り行い、1年を経過して今回の慶事を迎えました。新築成った本堂の南側には山門も移築され広い境内もよく整備されていました。

寺院(菩提寺)の建立は至難の事業といっても過言ではありません。仏教伝来の昔から寺院は権力者や有力者が自らの先祖と一族のために威信をかけて造営したり、また、僧侶が仏教の道場として庵を結び、そこに人々が集うようになってやがて寺院に発展して行くというのが通例でした。徳川幕藩体制下では檀家制度のために建立維持された寺院も少なくありませんでしたが、庶民が庶民だけの信心の力で新たに仏教寺院を建立するというのは近現代になってからのことといえましょう。

菩提寺建立はそこに集う僧俗の信仰と思いが異なれば発願することはできません。仏法の護持と伝承という信仰上の明確な目的を共有して初めて建立の発願がなされ、建設へのスタートラインに立つことができるのです。しかし、法華経を信仰する同志とはいえ意識と信仰への思いは一人ひとりちがいますから、ここに立つだけでもけっして容易なことではありません。その後も綿密に企画を立てて賛同者の意見を調整して行く必要があります。
その上に工夫に工夫を重ね、精進に精進を重ねてこそ大願成就に至るのですから、その道程はまさに茨の道といえるものです。

菩提寺建立は仏道の尊い功徳を積む浄業ですが、まずは信仰のためとはいえ浄財勧募を有縁檀信徒の方々にご理解願わねばなりません。日頃の仏法護持の御供養も同様ですが、御供養やお布施は元来強制されるものではなく、護法を願い自らの思いと置かれている環境をふまえて信心によってなされることです。生活を営むための基本にかかわる金銭のことであり、それぞれに生活環境や経済感覚もちがいます。さらに信仰への思いもまったく同じではありませんから迷乱することがあるのも事実です。

菩提寺建立という浄業は滅多にあることではなく仏道の功徳を積ませて頂く好機ですが、いずこにあっても少なからず混乱が生じていることからも、その厳しさと険しさは理解されることでしょう。浄業に邂逅し正面から取組んで成し遂げた僧俗でなければ真の苦労も悦びもわからないのではないでしょうか。世知辛い世の中、我欲と利害に翻弄される世相にあって、仏法を護り伝えるために汗を流すことをいとわない信仰者の存在は実に尊いものと思うのです。

興信寺は建立護持会を発足して18年目にして令法久住の本堂建立をみるに至りましたが、その間に発生した中越地震(平成16年10月)の災害を忘れることはできません。この地震によって前身であった法遊寺は甚大な被害を蒙り、その修繕にも多額の経費がかかったことと思いますから、僧俗のご苦労は私たちの想像を越えたものであろうと存じます。さらに新菩提寺の土地取得から造成工事、仮本堂を建設して境内を整備、宗教法人の設立認証から墓地の開設など、此の度の慶事を迎えるために陰に陽にさまざまなご苦労を重ねられてきたことでしょう。すべては仏祖三宝尊の御照覧遊ばされることと存じます。

清々しい落慶法要には有縁の僧侶が臨席、檀信徒多数の参詣のもと如法厳粛に奉修されました。参列者の中には故人の遺影をお持ちの方も数人おられ、興信寺僧俗一同のお顔は皆晴れ晴れとして菩提寺落慶の悦びに満ちていました。
心よりお祝い申し上げると共に今後の寺運興隆を祈念申し上げる次第です。

相武山 山主

2018年07月31日

追悼 大黒喜道師

長く学恩を蒙り日興門流の学僧として尊敬していた大黒喜道師(喜道房日新大徳)が7月11日に霊山に旅立たれました。大黒師は昭和30年大阪府に誕生。昭和41年春、大石寺年分得度7期生として日達上人のもとに得度され僧道を歩まれました。師は正信覚醒運動が興起するや同志と共に岡山市の興風談所に所属。爾来、寧日なく日蓮教学の研鑽に精励され、その貴重な成果を多くの論文・著述を通して遺されました。

師は生来才知に恵まれた方でしたが、その鋭敏さを自ら顕示するような性格ではなく、情熱を秘めながらも温厚な態度を好まれました。師はまたスポーツマンでもあり、こよなくスポーツを楽しんで居られました。才覚豊かな師はさらに学僧として生涯真摯な姿勢を貫かれた方で、論述にあたっては資料そのものの検証から進められ、たしかな資料を基に深く思索し所見を構築して行かれました。課題に向かって正攻法で対峙される見識は日蓮教学を研鑽する多くの好学の士が認めるところだと思います。

師は昭和56年春からの岡山市在住約27年間において、上代先師の文書翻刻に努めるとともに、興風談所の「興風」や関連誌に多数の論文を発表。また「日興門流上代辞典」を編纂されるなど、談所から出版された書籍にも大きな貢献をされました。
後に師は自身の信仰と日蓮大聖人の教えの真髄を求めるため、平成20年4月、宗祖流罪の地佐渡島に住居を定めました。一時関東に居したこともありますが、昨年深秋までほぼ佐渡島に住されて日蓮教学の研究に専心されたのです。

この10年間の学問的成果もすばらしいものがあります。ことに宗祖の膨大な法華経注釈である「注法華経」を詳細に読み下した『訓下本注法華経』の編纂は意義深く、また、近年は春秋社から出版されたシリーズ日蓮にも所見を論述されるなど日蓮教学に大きな足跡を遺されました。さらに難病治療中にもかかわらず『佐渡日蓮研究』の9号と10号を相次いで上梓されたことは驚くばかりです。

また、宗教法人正信会の春秋学林研修会や教師講習会の講義要請にも快く応えられ、多忙にもかかわらずここ数年、研究成果をもとに講義を展開してくださいました。昨年9月には佐渡に大黒師を訪ねての秋季学林研修会を開催。親しく佐渡と宗開両祖の世界をご案内いただき、参加者一同行学増進をはかることができたことに深く感謝しています。

12月の教師講習会で再会できることを楽しみにしていましたが、昨年深秋、師は難病に倒れられました。治療に努められて8ヶ月、行年64歳を一期として静かに霊山に旅立たれたことは、まことに残念至極であり日蓮門下有志にとって大きな損失ですが、ここに生前の学恩とご芳情に篤く御礼を申し上げ自受法楽を祈念申し上げる次第です。

大黒師とは若いときから何かとふれあうこともあり、共に覚醒運動に参画してからは個人的にも交誼を頂き、ここ数年は学林や講習会での窓口を務めていましたから、哀惜の情耐えがたいものがあります。しかし諸行は無常。私もそう時を経ずに相まみえることになると思いますからしばしのお別れです。どうぞ安らかに。

相武山 山主

 

2018年07月31日

蝉の初音の盂蘭盆会

猛暑が続く中、蝉の音が聞こえはじめた13日と15日の両日、当山では7月の盂蘭盆供養を営みました。13日は月例の日蓮大聖人の御報恩講ですが、併せて盂蘭盆供養を執り行い、両日共に御宝前には献膳、精霊壇にも精霊膳をお供えいたしご報恩と供養のまことを捧げました。

献膳の後には参詣僧俗一同にて如法に法華経を読誦・唱題、読経の声が堂内に響く中、参詣者は有縁精霊とご先祖の塔婆が建立された精霊壇の前に進み心を込めてお焼香をされました。法要の後には宗祖晩年の御書「法華証明抄」を拝読しての法話。

初めに盂蘭盆会のいわれについて、盂蘭盆会は釈尊十大弟子の一人目連尊者がその母青提女(しょうだいにょ)を餓鬼の世界から救う因縁を説く盂蘭盆経に由来すること。神通第一とうたわれた目連尊者の通力でも強欲の母を救うことができず、釈尊の教えに則り修行の功徳を積んだ清僧の供養を回向して初めて餓鬼の苦悩から脱することができたことなどについて解説。我が国では飛鳥の古へから朝廷などで営まれてきた祭事であること、やがて太平の時代を迎えて庶民の世界に至り、今日では日本の伝統・習俗として定着していること、などをお伝えしました。

次いで法華証明抄について。
宗祖最晩年弘安5年春、檀越の南条時光の病気平癒にあたって病魔を叱責し時光を激励した書状であることを解説。
また、末法で法華経を受持信行する者は過去に十方の諸仏を供養した功徳者であり、法華経が行者の成仏を証明をしていること、父の法華信仰を継いだ時光が法華経の行者として成仏疑いないことを述べていることを説明。
宗祖の法華経受持成仏の深い確信が述べられている御書であることをお伝えし、さらに天台大師の「人の地に倒れて 還りて地より起つが如し」を引用されていることから、不軽菩薩の振る舞いである逆縁成仏の世界を私たち末弟は正しく理解することの大切さをお伝えしました。

蝉の初音に盂蘭盆の功徳を積んだ法会でした。

相武山 山主

 

 

2018年07月30日

平成最大の水害に思う

台風7号が九州に接近した7月3日から西日本に降り続いた雨は、その後も勢いを増し6日から8日にかけては気象庁が『大雨特別警報』を発表。集中豪雨は広島県や岡山県を中心に岐阜県から九州・四国まで14府県にわたって甚大な被害をもたらしました。この豪雨を気象庁は『平成30年7月豪雨』と命名しました。

各地で発生した土砂崩れや河川の氾濫などで、死者・行方不明者は230名以上にもおよび、家屋の被害も2万棟以上、非難生活を余儀なくされた方も7,000人以上という平成最悪の大水害となりました。災害の犠牲となられた方々のご冥福を祈り、すみやかな復旧復興を心より祈念申し上げる次第です。

科学の発展とさまざまな知識の向上によって自然による災害にも抗するすべを身につけつつある現代。人災と指摘されることのないようにできる限りの防災に努めることは当然ですが、自然の猛威は常に私たちの想像を超えるものであることも事実です。科学が進んでも防災の工夫がなされても自然災害のすべてを防ぐことは難しいことかもしれませんが、他方、歴史を顧みればさまざまな智慧と工夫と努力で災害を小さくしてきたことも事実といえましょう。

地球も私たちと同様一つの生命体としてさまざまな活動をしながら存在しているのですから、感情では認めることはできませんが災害にいたる現象も地球の営みであることを理解しなければなりません。私たちも自然の一部であり自然と共生する存在であるなら、その恵みと動きに敏感にならねばならないのです。

先人はいろいろな艱難辛苦から多くのものごとを学び現代の私たちに伝えてくれました。私たちも自然災害から学んだことを後世の人々に伝えてゆかねばなりません。今回の豪雨から少しでも学びを得て、己れの人生に活かし社会の教訓としてゆくことが、犠牲となられた方々へのせめても供養になるのではないかと思います。

相武山 山主

 

2018年07月30日

カルトに警鐘をならそう

7月の日曜法話会は8日定刻の11時からの開催でした。今年の法話会は「日本の仏教」をメインテーマとして参加者の皆さんと一緒に学んできましたので、今月は平安初期仏教に大きな足跡をのこした慈覚大師円仁と智証大師円珍についてのお話を予定していました。しかし、「世相」のテーマ『オウム真理教死刑囚 死刑執行』の内容が深かったために、世相のテーマについての解説と所見を述べた法話会となりました。

初めにオウム真理教によって引き起こされた事件の概要を説明。続いてオウム真理教の成り立ちとその教義を解説して、オウムに限らず現在も存在し、これからも発生するであろうカルト的教団の危険性について以下のように述べました。

日本を襲った大水害のためにメディアでの報道は限定的でしたが、7月6日、オウム真理教事件死刑囚の死刑が執行されました。事件は平成7年3月、地下鉄にサリンがまかれ死者13名、負傷者約6300名と犠牲者を出した我が国最大の同時多発テロ事件が中心。その他にも松本サリン事件など宗教教団によって引き起こされた特異な事件であったために、長年にわたって検証が続けられてきましたが、首謀者である麻原彰晃こと松本智津夫は核心を語ることなくこの世を去ってしまいました。また関係者の供述も十分なものとはいえず真実の多くは未だ闇のなかといえます。
他方オウム真理教の後継教団も活動を続けており、その他、神秘主義や心霊主義、聖者・覚者・超人を自称する怪しげなカルト的教団が現在も日本では多数存在し、人生の幸福と安寧を求める人々を翻弄してていることは周知の事実です。

オウムは『麻原はヒマラヤで最終解脱した日本で唯一の存在で空中浮揚もできる超能力者であり、その指示に従って修行をすれば誰でも超能力を身につけて解脱することができる』などと言って超常現象に興味を持つ若者の関心を集めました。また、現実社会のさまざまな矛盾や非合理をついてオウム真理教によるユートピア建設を幻覚させ、さらには聖書などからハルマゲドンなどを引用して信者を洗脳させて行ったのです。

しかし、教祖麻原に魅入られて帰依した者は愚かな人ばかりではありません。まして、凶暴で凶悪な人物だけが彼の信者になったわけでもないのです。麻原とオウムの教えに帰依して事件の加害者となったのは特別な人々ではないことを私たちは知らねばなりません。再びおぞましい事件を招くことのないように、彼らの心理と行動を精緻に検証し、麻原と教団が巧みに洗脳していった過程と技術を明らかにすることが求められています。

少し紐解けば、麻原はヨガという一般的な心身調整のための道場から人々を神秘体験に導いて行きました。その帰依者たちは神秘性や超常現象に興味を持ち、不思議を信じやすい性格であったようです。また、社会のさまざまな不合理への疑問を持ち、バブルに踊る物欲快楽主義を非難し、現実生活から遊離した専ら精神世界の幸せを望んだとみられます。さらにダライ・ラマなどを自身の権威づけに利用する宣伝にも翻弄され、グルである麻原を絶対帰依の対象と崇拝したのです。

オウムの教義はヒンドゥー教と仏教をミックスしたもので、さらに各宗教のエッセンスを摂取したもの。多くのいかがわしい新興宗教同様耳ざわりは良くても、その教義に一貫性はなく体系も整理されたものではありません。宗教や哲学を少し理性的に学ぶ機会があればそのまやかしに気がつくのですが、麻原とオウムの教えを妄信した者にはすでに時遅しでした。

信教の自由は憲法に保障された基本的人権であり、『誰が教祖になろうが、誰を信じようが、何を信じようが自由』です。しかし、私たちはそこにも善悪・正邪が在ることを理解しなければなりません。邪な教えや教祖に遭遇してしまえば、自らに不幸を招くばかりでなく、家族や親族、社会にも大きな害毒を及ぼすことになるのです。

日蓮大聖人は『仏法と申すは道理なり』『法門をもて邪正をただすべし。利根と通力にはよるべからず』と誡めています。カリスマ聖者や生き仏を自称する徒輩が存在し、神秘体験主義を吹聴して現実生活を軽視するカルト教団の存在もけっして少なくない現代。日蓮大聖人は仏法の正邪をただされましたが、人々を不幸に陥れるカルト教団への警鐘を鳴らして行くことは仏法信仰者の責務であろうと思います。
以上の意見を述べて7月度の法話会としました。

相武山 山主

2018年07月29日