相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

名古屋で全国大会を開催

去る5月28日、名古屋市の吹上ホールを会場に(宗)正信会法華講全国大会が開催されました。近年大石寺門流では創価学会や阿部・早瀬宗門によって日興門流本来の法義と信仰が混乱し、残念なことに悪しき権威主義を基に排他独善が横行、迷信や妄信がはびこるようになってきました。その実態を憂いて約40年ほど前に「宗風の刷新と祖道の恢復」を願う正信覚醒運動が起こりました。

正信会はその運動を推進する団体で、当山もその運動に参画してすでに37年の歩みを刻んできました。全国大会は正信覚醒運動にはげむ僧俗が年に一度集い合い、運動の理念と信仰を確認する大会となっています。 今年の大会は静岡や中部の寺院講中が中心となっての運営、すばらしい天候に恵まれて、みな晴れやかな笑顔で参集しました。第一部では大会会場にゆかりの深い「尾張法難」を中心に、さまざまな厳しい環境にも負けることなく信仰に励まれた先達の尊い信仰の姿が映像で紹介されました。

第二部では地元信徒による「歓迎の言葉」、宗教法人代表役員川井泰円師の挨拶、そして信徒代表2名による信仰所感の発表。続いて荻原昭謙師による「正信覚醒運動の原点と我らの使命」と題しての講演。最後に運営会議議長の高橋恩道師が「法灯の継承に励もう」と訴えて大会は閉会。それぞれの挨拶や発表からは正しい信仰を求めてゆく熱い思いが伝わってきました。また、荻原師の講演では覚醒運動の原点と使命が明確にのべられ意義深い大会となりました。大会には当山からも代表15名が参加、所感発表には川崎市の阿部一博さんが立ちました。

大会の詳細は7月1日号の妙風新聞に掲載されますので楽しみにお待ちください。なお、明年の大会は京都市で開催の予定です。

相武山 山主

 

2017年06月21日

日曜法話会と伊豆の御難会

5月14日は今年になって5回目の法話会。さわやかな風が吹き抜ける中いつもの方々がお集まりになりました。新来者の方は不在のようでしたから、はじめの語りは簡略にさせて頂きすぐに「世相」について。
世相のテーマは「憲法改正論議について」でした。今年は日本国憲法市施行70周年憲法記念日を迎えて憲法についての意見がさまざまに述べられていますが、憲法は私たちの生活の基盤となる根本規範ですから誰もが無関心でいるわけにはいきません。

はじめに現憲法の成立経過についてふれながら「憲法の定義」を簡略に解説。憲法は「国家権力の権限と義務を定めて、国民の権利や自由の保障を図るための根本規範」であり、日本国憲法の三大原則は「基本的人権の尊重、平和主義、国民主権」であること。その特徴は「平和主義」であり、戦争の放棄を打ち出して「交戦権の否認」と「戦力不保持」を規定していることを説明しました。
また、知っているようでよく理解されてない「法治国家、立憲主義、法の支配など」について、私も専門家ではありませんから十分に理解できているかどうか怪しいものですが、わかる範囲で解説してみました。

今回施行70年をきっかけに、多くの方が法律の基本となる憲法を考えることになったのは大変良いことだと思います。最後に「学ぶべきこと」として、「法治国家に生きていることの認識。その権利と義務と責任を自覚する。憲法は不磨の大典(明治憲法発布勅語)ではない。憲法を考えることは自らの人生と社会を考えることに通じる。自らの意見をまとめてみる良い機会」とすることをお伝えしました。

少し難しい憲法の話に時間をとられてしまいましたが、続いて法話会テーマの「日本の仏教」。先月に続いて釈尊によって創始された仏教は、非常に多様性に富んだ宗教であることを現在の仏教国の現状から説明。それぞれの時代や地域によって様相の違いはあるものの、基本思想として三法印、縁起論、四聖諦など普遍の法理が必ず説かれており、多様性を認めながらもそれそれの国や地域で、釈尊の真理を求めようとしていることを述べました。

日本の現在の仏教もインドの原始仏教などと比較するならば大きな隔たりがあり、同一に語れない面もあるが、基本思想につては共通の面もあり、比較するならば日本の仏教は日本的仏教ということができることをお伝えしました。日本の仏教を知るためにはその歴史を学ばなければならないので、日本仏教史の概観を共に学んで行こうと述べたところで今月もタイムオーバー。「仏教へのいざない」をテキストにする概観史は来月の課題となりました。

ランチタイムを挟んで13時からは宗祖の「伊豆御流罪法難会」を執り行いました。午前中の法話会から引き続いての方々も多く、皆さんとご一緒に宗祖への御報恩のため懇ろに読経・唱題を申し上げることができうれしく思いました。その後の法話では伊豆御流罪の概要を説明して、「上求菩提・外化衆生」の仏道に生涯をかけられた宗祖のお振る舞いをお伝えしました。続いて前日の宗祖御報恩御講同様「顕仏未来記」を拝読し講義をさせて頂きました。

宗祖の御一生はまさに波瀾万丈でドラマのようですが、一つひとつの法難や出来事をよく見てみると、宗祖の見識の広さと思索の深さ、そして徹底した覚悟と実行力がうかがえます。私たちはとても同じようにはできませんが、宗祖の門弟として仏縁を結んだのですから、少しでもその御心に近づきたいと願うばかりです。

相武山 山主

2017年06月04日

雨の御報恩講

5月13日は月例の日蓮大聖人御報恩講でした。横浜は新緑を際立たせるような雨模様でしたが、翌日の14日には日曜法話会と伊豆御難会を執り行うことにもなっていましたから参詣者はほとんどいないのではないかと思っていました。しかし、毎月宗祖の御講に参詣しておられる14名ほどの檀信徒の方々がいつも通りにお参りになりました。

毎月のお参りを欠かすことなく努められるだけでも尊い信仰心ですが、雨が降って足下の悪い道を一歩一歩あゆんで来られる姿はきっと日蓮大聖人様のご照覧にあずかることでしょう。昔から『雨に降られながらの参詣は晴天に恵まれた日の参詣よりも功徳が積まれる』などといわれていますが、そのまじめな求道心には敬意を表するばかりです。

月例のように献膳・読経・唱題をもって宗祖への報恩謝徳を申し上げた後、「顕仏未来記」を拝読しての法話を申し上げました。私たち日蓮門下は宗祖の遺された御遺文「御書」を宗祖からのご教示と拝して信行に励むことを基本としています。したがって門下の寺院道場においては御書を拝読、宗祖の御心を伝えるべく法話をするのですが、法話では宗祖の教えをできるだけ正しく、また、わかりやすく、そして、聴聞される方々の日々の生活に少しでも活かされることを願ってお話をさせて頂いています。

当山ではこの春から「顕仏未来記」を親しく学んでいます。御書の御真筆は遺っていませんがたしかな御書であり、宗祖の覚悟とその教えがよく顕されています。3月にその概要を解説し、少し長い御書ですので数回に分けてお話することにしました。4月には第1回として冒頭部分のお話をし、5月は第2回目でした。

はじめに本文の 『疑って云く、正像の二時を末法に相対するに、時と機と共に正像は殊に勝るるなり。何ぞ其の時機を捨てて偏に当時を指すや。ーー 略 ーー末法に於ては大小の益共に之れ無し。 小乗には教のみ有りて行証無し。大乗には教行のみ有りて冥顕の証之れ無し。其の上正像の時の所立の権小の二宗、漸々末法に入りて執心弥強盛にして小を以て大を打ち、権を以て実を破り、国土に大体謗法の者充満するなり。仏教に依りて悪道に堕する者は大地微塵よりも多く、正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少なし』を拝読。

この御文が『正法・像法の時代と末法の時代を比べてみると、時といい、人びとの能力といい、ともに正法・像法の時代の方が勝れている。どうして勝れている方を捨てて、法華経流布の時として劣っている末法が指定されたのであろうか』という問いを起こし『仏のお心は不可思議で、推しはかることが難しい。ー 略 ー 末法に入ると、権大乗も小乗も共に衆生に利益を与える力はない。小乗は教のみあって行も証もなく、権大乗は教えと修行はあっても、眼に見えるかたちでも見えないかたちでも証得する者はいない。しかも、正法および像法の時代に小乗と権大乗の教えによって建てられた諸宗が、末法に入っていよいよ自宗に執着する心を強め、小乗によって大乗を打倒し、権教によって実教を破折しようとするので、国中には謗法の者が満ちあふれてくる。そのため、仏教が原因で謗法の罪を犯し、悪道に堕ちる者が大地の微塵の数よりも多く、法華経を修行して仏道を得る者は、爪の上に乗る土ほども少ないというありさまである』旨を解説。
続いて『此の時に当たりて諸天善神其の国を捨離し、但邪天・邪鬼等有りて王臣・比丘・比丘尼等の身心に入住し、法華経の行者を罵詈毀辱せしむべき時なり。爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨てて実大乗の法華経に帰せば、諸天善神並びに地涌千界等の菩薩、法華の行者を守護せん。 此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか。例せば威音王仏の像法の時、不軽菩薩「我深敬」等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如し。彼の二十四字と此の五字と、其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ。彼の像法の末と是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり』を拝読。
この御文が『その時、正法を守護すべき諸天善神がその国を見捨ててしまい、残るのは邪悪な心をもった諸天や鬼神のみとなり、彼らが国王や臣下や僧尼などの身に入り心に取りついて、法華経の行者を悪口してはずかしめる時代となる。けれども、釈尊の滅後に法華経以前の方便の教えに対する間違った執着の心を捨てて、真実の大乗教である法華経に帰依すれば、必ずや諸天善神や地涌千界等の菩薩が、この法華経の行者を守護するだろう。すると、この法華経の行者はその守護の力に背中を押されて、法華経本門の本尊と肝要の妙法蓮華経の五字をこの世界に広く宣べて流布させるに違いない。

そのすがたは、過去の威音王仏の滅後像法の時に出現した不軽菩薩が、「私は深くあなた方を尊敬する。けっして軽蔑はしない。その理由は何か。あなた方はみな菩薩の道を行じて、仏に成るだろうから」という漢字二十四字と唱えてそれを広く流布させ、その結果として国中の人びとから杖木で打たれたり、瓦石を投げられるという迫害をこうむったのと同じである。不軽菩薩の二十四字の文と日蓮が弘通する妙法蓮華経の五字とは、言葉は違っていても、その意は同じである。不軽菩薩は像法の末、日蓮は末法の始めにそれぞれ生を受けたが、その世相は一致している。不軽菩薩は滅後五品の中の初随喜品の位、日蓮は六即の中の名字即の凡夫であり、階位も同等である』旨を解説。

拝読御書の全体を通して、宗祖の教えが末法という時代を基盤としていること、そして救済される衆生の実相と、救済の教えである南無妙法蓮華経、さらに救済者となるのは法華経の行者であることをお伝えしました。

宗祖の遺された御書は鎌倉時代の文体であり、難解な仏教用語が頻出することもあって、難しいことはいうまでもありませんが、仏教の根本思想であり末法の衆生救済の教えですから、これからもより多くの方々と倶に学んで行きたいと願っています。

相武山 山主

 

2017年06月03日

末永きご多幸を祈ります

泉区の高橋孝子さんが当山に御縁を結ばれてからもう30年以上が経ちます。その息子さんの周作さんが誕生したのは昭和63年のことでした。その頃の妙法院は新横浜にほど近い岸根町に在って仏道に精進していました。

信仰心の篤いお母様との御縁によって周作さんとも今日まで長いお付き合いを頂いています。誕生から就学そして就職までの間、折々の節目にはいつもお母さんは周作さんのために祈りを捧げにお参りされていました。

その周作さんがこの春結婚を決め、去る5月3日、周作さんが新婦となった「もも」さんと一緒に当山の御本尊様に結婚のご報告をされました。周作さんは春のお彼岸に新婦となる「もも」さんを伴って当山に参詣されましたが、それは平成24年秋に逝去され妙法院墓苑に安まれているお父様への結婚のご報告と、菩提寺妙法院とその信仰をももさんにご紹介するためでした。

私は初めてお目にかかったのですが、おだやかで心優しそうなももさんを拝見して、周作さんは良いお嫁さんを迎えたな~と思いました。お勧めしたお経本を開かれ法話も誠実に聞いて頂きました。ももさんもご両親と倶にキリスト教の信仰をお持ちのようですが、周作さんとそのお母さんの思いをくまれて、私たちの信仰を理解しようとされる姿は有り難いことと思いました。

御本尊様の前で身内だけの三三九度の杯を交わされたお二人は、式の後、高橋家の墓前に行かれてお父様の幸雄さんに結婚のご報告をされていました。お父様もさぞかし喜ばれていることと拝察いたします。

人生で最も意義深い出会いの一つが結婚ですから、お二人には出会いの貴重さに思いを馳せてほしいと思います。また、人生は平坦な道ばかりではありませんから、苦しいとき辛いときこそ夫婦の道と心得て、より良い家庭を築いて頂きたいと願っています。仏祖三宝尊にお二人の末永きご多幸をお祈りしています。

相武山 山主

2017年06月02日

墓苑の階段を改修

妙法院のホームページに掲載のブログは、妙法院の現況をお伝えするために住職の私が発信しているものです。その主たる目的は妙法院の檀信徒の方々に菩提寺の活動と様子をお知らせすることにあります。当山は開創以来37年ほどの寺歴ですから、開創当時から倶に信仰の道を歩んできた同志の方々が多くご健在ですが、病気や高齢となって思うように参詣できなくなっているのも事実です。また、仕事などで多忙であったり、遠方にお住まいで参詣の難しい方もおられます。そのような方々でも菩提寺の様子を気にしておられますので、ブログというかたちで発信し、「相武山だより」で紙面にして菩提寺の様子をお伝えしています。また、ご縁のある方々にも妙法院の有り様や仏道と信仰にふれて頂きたいと願っています。

1週間に1本程度の間隔でコンスタントに発信できれば良いのですが、何かと所用に追われて最近は月末にまとめてアップすることが多くなっています。ネットでご覧になっている方にはまとめて書くなんてけしからんなどとお叱りを受けるかもしれませんが、ブログのアップは集中してしまいますが、その内容はその時そのときに思案していることですのでご容赦頂きたいと思っています。

今月ももう月末を迎えます。今月の初旬、大型連休中に墓苑中央参道の階段を改修しました。上段から下段に向かう階段が初期工事の不手際で均衡のとれたものではなかったためです。以前から整備してほしいという要望があった階段でしたが、どうにも余裕がなく今まで対応できませんでした。昨年、境内南側斜面の工事をした職人さんが3日間のアルバイトで改修工事をしてくれました。歩いてみると本当に歩きやすく、しばらくは朝に夕に理由もないのに何回も階段を上がり降りしてみました。手すりは夏頃の設置になりますが利用される方々には喜ばれることと思っています。

境内の整備はそう簡単にはできませんが、檀信徒の方々が気持ちよく参詣できるように、できることをできるところから少しづつでも整備して行きたいと願っています。

相武山 山主

 

2017年05月29日

薫風の中でさわやかな法要

昨日、ゴールデンウィークも初日の4月29日(土)、午前11時より立教開宗会(りっきょうかいしゅうえ)と御虫払法要(おむしばらいほうよう)を執り行いました。境内の木々が新緑の柔らかい若芽を青空に伸ばし、当山周囲の市民の森も鮮やかな緑の装いとなり、さわやかな初夏の薫風が流れる中での法要には篤信の檀信徒が参集。共々に宗祖日蓮大聖人の立教開宗へ報恩謝徳申し上げ、妙法院所蔵曼荼羅本尊のお風入れとお虫払をいたし、先師先達の護法の志に思いを馳せました。

三日前から本堂内陣に曼荼羅本尊を御奉掲申し上げた法要では、始めに私から『立教開宗会と虫払い法要の意義』について簡略にお話し、式次第に準じて献膳(仏祖三宝尊へお膳をお供えする)、読経(法華経方便品・寿量品長行)、お焼香(ご本尊様への供養)、読経(自我偈の訓読)、唱題、ご本尊内拝(シキミを一葉加えて内陣に進み内拝)、などについての解説をいたしました。

法要のいわれと内容については檀信徒の皆様にはすでにご承知のことかもしれませんが、よく理解されていない方や新しい方のために、また、再度認識を新たにして頂くために申し上げた次第です。前述の次第にしたがって法会は厳かに執り行われましたが、自我偈の訓読は日頃あまり馴染みのないことですので、戸惑われるかと案じていました。しかし、皆さん落ち着いて私の先導についてきてくださり無事に読み上げることができました。仏道の荘厳のため有り難い限りです。

内拝は太鼓に合わせた唱題の裡(うち)に参詣の皆さんが内陣に進んで御奉掲の御本尊を参拝しました。ほとんどの御本尊が100年以上前の書写であり、その実相をご覧になっての思いは各人各様であったことでしょう。

住職挨拶では、再度、立教開宗会の意義について「宗祖の覚悟と衆生済度の慈悲」の思いを述べ、御虫払会の意義については「曼荼羅本尊こそ日蓮大聖人の法魂」「曼荼羅本尊を厳護伝承することは日蓮大聖人の教えを護持伝承すること」であるとお伝えしました。

法要後はランチタイムで一旦少憩。12時55分からはチターの演奏会でした。チターはヨーロッパのスイスからドイツ地方にかけての地域で愛されてきた弦楽器です。我が国では馴染みの薄い楽器ですが、川崎の芦川さんが東京の内藤先生に師事して居られたことから当山にもご縁を結んで頂きました。当山での演奏会も今回で4度目となりました。

内藤先生の穏やかな語りを交えての演奏会は聴衆のこころに響くものでした。先生作曲の作品を始め馴染み深い曲目を次々にご披露頂き、また、途中では紹介者の芦川さんも参加され、結びの時間には聴衆のために先生が「おぼろ月よ」と「ふるさと」を選曲され、みんなで心を込めて歌い印象深い演奏会となりました。

内藤先生は我が国に馴染みの薄い「チター」という楽器にヨーロッパで魅せられ、そのすばらしさを是非多くの人に伝えたいと一人で立ち上がられた方です。何ごとも挑戦する人には試練があるのですから、先生の今までの歩みにもきっと厳しく険しいことがあったことでしょう。しかし、そんなことを微塵も感じさせない静かで力強い演奏と語りでした。当山の法会に花を添えて頂きました。またの機会を楽しみにしたいと思っています。

演奏会の後には御本尊の御奉納。自我偈を読誦した後、唱題裡(しょうだいり)に信徒総代が内陣に進んで曼荼羅本尊をお巻き上げ、私と興厳房がお受けして桐箱に納め御宝前に安置。お題目を三唱して法要の一切は無事に終了。
今年も仏法護持の志篤い方々の参詣を得て厳かに法要を奉修できました。心より感謝を申し上げます。

相武山 山主

2017年04月30日

4月度の日曜法話会

「正見」を求め、あるがままの事実を認めることは仏教の基本的姿勢です。法話会ではその視点から「世相」について私の意見をお伝えしています。というよりも、世相に対する意見を述べることが本来の「法話」なのかも知れません。

今月の世相のテーマは「新たな環境に身を置く人々応援」でした。テーマとして取り上げたのは、学校や職場をはじめ社会のあらゆる場面で新しい環境に取り組む人々をみかける季節を迎えたからです。

新しい環境は夢と不安の世界ということがいえるのではないでしょうか。環境は一人ひとりの身心に大きな影響を与えるものですから、環境が変われば戸惑うことがあるのは当然です。熟練者もはじめは皆初心者でした。自分が出来るようになったからといってうぬぼれて傲慢になることは慎まなければなりません。

新たな環境に立つ人には、その迷いや戸惑いを許して温かく見守りたいものですし、そのような出会いの時にこそ、自らの優しさと思いやりの心を養う機会としたいものです。一人ひとりの優しさと思いやりが社会の安寧をもたらします。人生は学びに満ちているのですから、人徳を重ねて豊かな人生として行くことが大切であることを述べて私の意見としました。

法話会のテーマは「日本の仏教」でした。釈尊によって創始された仏教にはその基本思想として三法印、縁起論、四聖諦などが存在しますが、他方、仏教は非常に多様性に富んだ宗教という側面があり、世界宗教として受容された仏教史の概観を述べました。その上で、現在の日本の仏教の姿はまさに「日本の仏教」とよぶにふさわしい「日本的仏教」であることをお伝えしましたが、時間の都合上、詳細は来月の課題として残りました。

来月は14日(日)午前11時から法話会を開催いたします。皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

2017年04月30日

境内整備のご褒美・・・・・

横浜では今の春、サクラの開花が例年より遅く、当山本堂前のサクラも4月1日の御経日にはほとんど花開いていませんでした。この日は月例の御経日の後にペット墓で慰霊祭を行いましたが、樹上のサクラは数えるほどで少し残念でした。その後、2~3日して開花となりましたがすっきりしない天候もあって、「晴れ渡る青空に春のサクラ」を満喫するイメージを描けず、わがままにも『何か物足りないな~』という思いでした。

『自然はままならないな~』と思いながらも、晴天の日に三ツ境から当山までのバス通りのサクラのトンネルをカメラで切り抜きにゆきました。路の両側から張り出すようなサクラの並木はやはり春らしい光景です。サクラ並木は各地にありますが身近な生活の側に在るのはやはりうれしいもので、花をみていると心がウキウキしてくるのは私一人ではないでしょう。

当山では昨年境内西側の雑木林の樹木を伐採しましたので、昨年までとは境内の雰囲気がかなり変わってより明るくなったように思います。月参りに見えない方でも春のお彼岸などに見えた方は、本堂を背にして墓苑の方を見ると景色が広がったことがわかったのではないでしょうか。墓苑下段の雑木林を整備したので二本の大きなサクラも存在感を増し、谷戸(やと)の向こうの追分市民の森がすっきりと見えるようになったからです。雑木林のサクラも立派なものですし、谷戸の斜面のサクラの並木も見応えがあります。墓苑から谷戸の方面を見ていると緑の世界が広がって、やがて自分の心にもみずみずしさがもたらされる気がします。これも境内整備のご褒美かもしれません。

市民の森の斜面にサクラの苗木が植樹されたのは10年ほど前のことでした。植えたときにはひょろひょろと頼りなげな苗木でしたが、時を重ねて次第に幹を太くし枝をしっかりと伸ばしてきました。今では立派なサクラとなって訪れる人を喜ばせています。その姿に時の重みを思わずにはいられません。

人間も自然も社会も否あらゆる存在がはじめは頼りないような存在です。しかし、時の経過の中で育まれ磨かれやがて豊かに成長してゆくものです。振り返れば当山もさまざまな機縁によって法華経の道場として誕生し、現在、この下川井町にて仏道の護持に努め、仏様の教えを少しでも伝える存在になっていることは有り難いことだと感謝しています。これも仏道を倶に歩んで来られた檀信徒の皆さんの信仰心の賜です。当山にはわずか37年の歴史しかありませんが、一日一日の精進が重ねられて今日に至っていることを朝夕に銘肝しています。

サクラは冬枯れの中につぼみを膨らませ、やがて花が開いて春の訪れを告げ、風に舞って優美に散りゆき、葉桜となって新緑を楽しませてくれます。夏には木陰を提供し秋には紅葉し四季の移ろいを教えてくれます。サクラには『今年のサクラは・・・・・』などという私の不遜な思いを一蹴するような存在感があるような気がします。

相武山 山主

 

2017年04月29日

雑木林で遊べる日を願って

昨年、強風対策の一環として境内西側の樹木を伐採しましたが、その枝葉がかなり大量に残り一冬を越しました。作業して頂いた造園屋さんにかねて撤去を依頼していましたが、ようやく先月の末から3日ほどかけて搬出してもらいました。

かなりの量でした。お陰様で墓苑下の雑木林がすっきりとしました。樹木の生長は本当に早く、放っておくとあっという間に生い茂ってしまいます。知ってはいたのですが現在地に雑木林を管理するようになって改めて認識することになりました。

自然の豊かさの象徴として緑に恵まれることは、何にも増して有り難いことですが、何ごとにもプラスとマイナス、正と負があるように、豊かな自然の恵みにあずかり、心に潤いを頂くということは、その喜びのために物心共に負担がかかることを承知しなければなりません。何ごとも「プラスだけ・・・」などという都合の良いことはないようです。

雑木林はほとんどの枯れ葉も撤去してもらったので、すっきりとした空間になりました。上からのぞいてみると結構な広さがあるので、参詣の皆さんに楽しんで頂ける工夫をしたいと思っていますが、擁壁の上にフェンスを設置したりいろいろと安全対策などをしなければなりません。楽しみの空間にするためにはまだ2~3年は時間がかかりそうです。

それでも、妙法院は「仏教に親しみ、仏の道と信仰を愉しむお寺」をめざしているのですから、やがて雑木林で遊べる日が来ることを願って、これからも境内の整備を少しずつ進めて行きたいと思っています。有縁の方々にはご協力のほどよろしくお願いいたします。

相武山 山主

 

2017年04月27日

慈愛のこころにふれて

お彼岸も過ぎた4月2日の日曜日、一人の男性がふらりと墓所に向かって境内を進んで行かれました。見覚えのある中年の男性です。阿部さんの墓所の前に佇み静かに手を合わせ、墓所の周りをきれいにされてからお線香をお供えされていました。いつもお彼岸やお盆はもちろんお正月にも阿部さんのお墓にお参りされる方です。

当山の墓所へのお参りは自由となっていますから、私が存じ上げない親族や友人の方々もよくお参りになっておられます。縁の有る故人を思い、供養のために香華を捧げてお参りされている姿をみることは清々しく、日本人の情景の一つとしてその思いが伝わってまいります。

さきの男性は阿部さんの墓所にやすまれている優香さんの先生です。優香さんがあまりにも早い人生を駆け抜けて行かれてからもう4年が過ぎました。優香さんとはわずかな接点しか頂くことのできなかった私ですが、信仰心の篤いご両親から優香さんのことをいろいろとうかがいました。難病に遭遇してからのご家族の複雑で奥深い思いと、信仰を支えとした濃密な時間の過ごされ方には素直に感動しています。

優香さんの先生とは葬儀のときにお会いして会釈を交わしただけで、特別に言葉を交わすこともありませんでした。今も優香さんの墓前にお参りされる先生とお話をするわけではないのですが、1月3日のご命日忌はもちろん、春秋のお彼岸やお盆には必ずお参りされるお姿からは、優香さんを思う慈愛のこころを感じています。

人生はすべてが出会いです。私たちの人生にはさまざまな出会いがありますが、優香さんとその先生は、先生と生徒として出会ったのです。私たちは凡夫ですからその因縁を知るよしもありませんが、先生は優香さんとの出会いを大切に感じ、また、13歳の若さで旅立ってしまった教え子のことを常に心にかけて居られるのでしょう。香華を手向け一人静かに合掌される先生のその姿に、私は人間としての「慈愛のこころ」を感じ、人としての出会いと交わりの意味の深さを覚えました。

相武山 山主

2017年04月26日