相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

雑木林で遊べる日を願って

昨年、強風対策の一環として境内西側の樹木を伐採しましたが、その枝葉がかなり大量に残り一冬を越しました。作業して頂いた造園屋さんにかねて撤去を依頼していましたが、ようやく先月の末から3日ほどかけて搬出してもらいました。

かなりの量でした。お陰様で墓苑下の雑木林がすっきりとしました。樹木の生長は本当に早く、放っておくとあっという間に生い茂ってしまいます。知ってはいたのですが現在地に雑木林を管理するようになって改めて認識することになりました。

自然の豊かさの象徴として緑に恵まれることは、何にも増して有り難いことですが、何ごとにもプラスとマイナス、正と負があるように、豊かな自然の恵みにあずかり、心に潤いを頂くということは、その喜びのために物心共に負担がかかることを承知しなければなりません。何ごとも「プラスだけ・・・」などという都合の良いことはないようです。

雑木林はほとんどの枯れ葉も撤去してもらったので、すっきりとした空間になりました。上からのぞいてみると結構な広さがあるので、参詣の皆さんに楽しんで頂ける工夫をしたいと思っていますが、擁壁の上にフェンスを設置したりいろいろと安全対策などをしなければなりません。楽しみの空間にするためにはまだ2~3年は時間がかかりそうです。

それでも、妙法院は「仏教に親しみ、仏の道と信仰を愉しむお寺」をめざしているのですから、やがて雑木林で遊べる日が来ることを願って、これからも境内の整備を少しずつ進めて行きたいと思っています。有縁の方々にはご協力のほどよろしくお願いいたします。

相武山 山主

 

2017年04月27日

慈愛のこころにふれて

お彼岸も過ぎた4月2日の日曜日、一人の男性がふらりと墓所に向かって境内を進んで行かれました。見覚えのある中年の男性です。阿部さんの墓所の前に佇み静かに手を合わせ、墓所の周りをきれいにされてからお線香をお供えされていました。いつもお彼岸やお盆はもちろんお正月にも阿部さんのお墓にお参りされる方です。

当山の墓所へのお参りは自由となっていますから、私が存じ上げない親族や友人の方々もよくお参りになっておられます。縁の有る故人を思い、供養のために香華を捧げてお参りされている姿をみることは清々しく、日本人の情景の一つとしてその思いが伝わってまいります。

さきの男性は阿部さんの墓所にやすまれている優香さんの先生です。優香さんがあまりにも早い人生を駆け抜けて行かれてからもう4年が過ぎました。優香さんとはわずかな接点しか頂くことのできなかった私ですが、信仰心の篤いご両親から優香さんのことをいろいろとうかがいました。難病に遭遇してからのご家族の複雑で奥深い思いと、信仰を支えとした濃密な時間の過ごされ方には素直に感動しています。

優香さんの先生とは葬儀のときにお会いして会釈を交わしただけで、特別に言葉を交わすこともありませんでした。今も優香さんの墓前にお参りされる先生とお話をするわけではないのですが、1月3日のご命日忌はもちろん、春秋のお彼岸やお盆には必ずお参りされるお姿からは、優香さんを思う慈愛のこころを感じています。

人生はすべてが出会いです。私たちの人生にはさまざまな出会いがありますが、優香さんとその先生は、先生と生徒として出会ったのです。私たちは凡夫ですからその因縁を知るよしもありませんが、先生は優香さんとの出会いを大切に感じ、また、13歳の若さで旅立ってしまった教え子のことを常に心にかけて居られるのでしょう。香華を手向け一人静かに合掌される先生のその姿に、私は人間としての「慈愛のこころ」を感じ、人としての出会いと交わりの意味の深さを覚えました。

相武山 山主

2017年04月26日

春のお彼岸

今年の春の彼岸は17日から24日までの1週間でした。お彼岸には檀信徒の皆さん以外にも有縁の方々がお参りにみえますので、いつものことながら日頃より丁寧に片付けや清掃に勤しむことになり興厳房も私も直前まで大忙しです。

お彼岸は20日まで穏やかな天候に恵まれ、ご先祖や故人への思いの深い方々が三々五々自由にお参りになっていました。朝から夕方まで三師塔をはじめ墓所にお線香が捧げられますから、一日中お香の良い香りが境内にたなびきお彼岸らしい風情でした。

19日(日)と20日(月)の両日は午後1時から本堂で春季彼岸法要を執り行いました。当日までに申し込まれた追善供養のお塔婆も書いてお供えしなければなりませんから寺内に時間の余裕はありません。常のようにバタバタしながら法要を迎えました。19日の法会では堂内唱題の裡に仏祖三宝尊と御歴代正師、当山有縁精霊への献膳を行い、引き続いて厳かに読経を勤めながら参詣者全員が精霊台に進んで有縁精霊に追善の焼香をお供えしました。心を込めて南無妙法蓮華経のお題目をお唱えし懇ろにご回向を申し上げた次第です。

法会の後には「上野殿御返事」『塩一駄はじかみ(生姜)送り給び候。 金多くして日本国の沙のごとくならば、誰かたから(宝)としてはこ(筐)のそこにおさむべき。餅多くして一閻浮提の大地のごとくならば、誰か米の恩をおもくせん。 ー 略 ー 今はぜんたいしほなし。何を以てかかうべき。みそ(味噌)もたえぬ。小児のち(乳)をしのぶがごとし。かかるところにこのしほを一駄給はりて候。御志大地よりもあつく、虚空よりもひろし。予が言は力及ぶべからず。ただ法華経と釈迦仏とにゆづりまいらせ候』を拝読。

はじめにお彼岸のいわれを簡略に述べ、次いで日蓮大聖人の教えを信仰する私たちは、遺された御書に親しんでその教えを求めて行くことが大切であることをお伝えしました。日頃、菩提寺に参詣して御書を学ぶ機会が少ない方もいるので、お彼岸のひと時宗祖の教えを共に学びました。御書からは身延での宗祖の厳しいご生活をうかがい、また、上野殿(南条時光殿)の三宝(仏・法・僧)護持の尊い信仰心を学びました。さらに宗祖が説かれる「貴重なもの」の指摘から、『私たちは何を貴重なものと認識して大切にしているか』『私たちは与えられた人生の中で、その価値観をしっかりと磨き上げて行くことが大切である』ことを述べ、仏道と信仰心が貴重なものであることをお伝えしました。法話の後、参詣の皆さんは建立ご回向されたお塔婆をお持ちになり墓参へと向かわれました。

彼岸会に参詣された皆さんに追善供養されたそれぞれのご先祖や有縁精霊は、その温かい気持ちをうれしく受け止め、仏さまのお側からきっと子孫の行く末を見守られていることでしょう。お彼岸は生ける者が死者を思いやり、死者の見守りを感じる機会であり、仏教信仰に誘われて魂の交流がなされる時といえましょう。

相武山 山主

 

2017年03月31日

3月の法話会から

春のお彼岸で有縁の方々が本堂や墓所にお参りされるなか19日(日)は「日曜法話会」でした。数日前から彼岸会の諸準備がありレジュメの作成はぎりぎりでしたが何とか間に合いました。文章を書くときはいつもテーマをまとめることに迷ったり筆も遅いので苦労しています。

法話会のテーマは「お彼岸のいわれ」としました。先日、お彼岸を前に『お彼岸にはどのような意味があるのですか?』という質問をうけたことによります。以前にもこの法話会で取り上げたテーマだったのですが再度お話をさせて頂きました。テーマに入る前の「世相」は『原発事故を真摯に考えたい』でした。

この3月11日は東日本大震災からまる6年、仏教徒は第7回忌法要を営みました。そこで「復旧復興の実体を検証しなければならない。今後必ず発生する大地震への対応。物故者を慰霊する教訓を活かしているか」という問いかけをしました。その上で3月17日に前橋地方裁判所で出された「原発事故の賠償責任事件」について私見を述べました。前橋地方裁判所は「津波の到達は予見できた」「原発事故は回避できた」として、国と東京電力の賠償責任を認める判決を出したのです。「原発事故は人災」ということになります。

これまで原発事故にはさまざまな意見がありました。東電や国の責任を問う意見もありましたが、『大津波は想定外、やむを得ない・・・』という意見があったのも事実です。しかし、今回の判決は明確に国や東電の責任を認めました。私は「今後の適切な対応のために責任の所在を明らかにすること。加害者を裁くことではなく真実を明らかにすることが大切。原発事故は収束していない。膨大な廃炉と賠償経費から原発はリスクに見合わない。原子力事業への真剣な議論がなされるべき。安全安心は利便性や経済効果よりもはるかに優先されるべき」と述べ、一人ひとりが自らの認識と判断を持つことが大切である事をお伝えしました。

続いて今月のテーマ「お彼岸のいわれ」、サブタイトル『生と死、ともに安らぎを』について、「お彼岸のいわれを学ぶ。仏教は彼岸の安らぎを求める宗教。お彼岸の時季には仏道修行の功徳を積もう」というながれで解説。お彼岸は我が国の風習となっている年中行事(由来は平安時代か)であり、そのいわれが悩みと苦しみの此岸(凡夫の住む世界)から、安らぎの世界(仏さまの世界)である彼岸に渡ること。渡るという行為が仏道の修行であることをお伝えしました。

彼岸は宗派を問わず仏教一般の概念といえますが、特に強調されるのは西方極楽世界に往生を願う阿弥陀仏信仰の浄土系の宗派です。しかし、よく考えるならば、私たちは死した後の安らぎも大切ですが、人生の営みそのものに安らぎを得ることがさらに大切だと思います。仏教は「生と死、ともに安らぎを求める」教えであることを理解して、潤いのあるより良い人生を歩むことをお勧めしました。日本の年中行事との一つとして広く親しまれているお彼岸ですが、その意味を自身の人生に活かすことができればさらに意義深いものになると思います。

4月は16日(日)午前11時から法話会を開催いたします。

来月もご家族友人誘い合わせてのご参加をお待ちし。                          相武山 山主

 

2017年03月31日

鯉を放流

宗祖御講の前日、参詣者用玄関前の参道北側に設けたコンクリート製の池に鯉と金魚を放流しました。この池は正月前には完成していましたが、2ヶ月ほどあく抜きのために水の出し入れをしていました。もう大丈夫と思って放流したのですが、寒い時期でもあり鯉は水や池の環境などに影響を受けやすいので心配しました。

寒い時期に鯉の動きがにぶいのは当然ですが、しばらくすると2匹の鯉が横たわっていたのでビックリして池から出そうとしたら、突然何ごともなかったかのように泳ぎはじめました。どうしたのかなと思って調べてみると「眠り病」ということでした。放っておくと深刻になるという意見やそのうちに良くなるという意見もあって、初心者には戸惑うばかりですが生き物を飼うということはやはり難しいものです。

それでも鯉がゆったりと泳ぐ姿を観ていると、観ているこちらの気持ちも穏やかになってゆきます。和の風情を感じるような池ではないかもしれませんが、大きすぎない鯉(現在の)には広さも深さも十分で、当山へのお参りにまた一つ楽しみがふえました。時には池の鯉の優美な泳ぎを追って、浮き世の煩いを離れることも一興ではないかと思います。

相武山 山主

2017年03月31日

東海正信連合会の大会

3月5日(日)正午から静岡県藤枝市の応身寺において東海正信連合会の大会が開催され、妙法院からも新倉講頭をはじめ13名の代表と興厳房と私が参加しました。当日は午前8時30分にマイクロバスで妙法院を出発。澄み渡る気持ちの良い青空のもと、ベテランドライバーの阿部さんの運転で一路藤枝に向かいました。途中足柄で休憩、日本坂で早めの昼食を摂って予定どおりに応身寺に到着。

定刻の正午前には静岡・神奈川両県の同志僧俗が参集。始めに応身寺住職の導師のもと読経唱題、仏祖三宝尊への御報恩を申し上げました。開式の辞に続いて連合会新幹事への認証状授与。新たに幹事長には当講中の熊木真治さんが就任。「大会や研修会での感動を信心のエネルギーとして、皆で力を合わせて正信覚醒運動に精進しましょう」と挨拶されました。続く所感発表では山桃院講中の馬飼野典行さんが「先人の意志を承け継ぎ正法を求めてさらに精進したい」と述べられました。次いで妙覚院講中の丹波シイ子さんが「主人を見送った寂しさを力に変えて、これからも仏縁を大切に皆さまと共に信心に励みたい」と語られました。

大会講演では永山郁道師(御殿場市妙報院住職)が信仰の上から「自分たちはどこから来て、どこにいて、どこに向かうのか」と提起され、宗開三祖の教えとお振る舞い、さらに正信覚醒運動の在り方にも言及。日々の発心を大切に共に仏道に励みたいと述べられました。最後に荻原昭謙師が「正信覚醒運動の原点である宗風の刷新・祖道の快復をしっかりと確認し、各講中の連携と団結、異体同心に敬愛和合して参りましょう。」と述べられ、閉会の辞をもって大会は終了。参加者はそれぞれの意のあるところをくみ正信の糧として帰路につきました。

帰路では東名高速道路で複数の事故があり、帰着の遅れが心配されましたが、熟練ドライバー阿部さんの機転によって、御殿場から高速を下り国道とバイパスを経由して無事に18時過ぎには相武山に到着しました。大会参加の皆さまには休日の貴重な時間を信行錬磨の一日とされまことにご苦労様でした。信仰では同志との啓発や激励も大切なことですので、これからも機会があれば他寺院・講中との交流に参加頂きたいと思います。

相武山 山主

 

2017年03月30日

桃の節句

冬から春へと向かう弥生三月。といっても新暦と旧暦では時季の違いがあるので同様にとはいきませんが、弥生の由来は、草木がいよいよ生い茂る月「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」が詰まって「やよひ」となったといわれています。

相武山の弥生三月もいろいろありました。一日の月例お経日を勤めた後には客殿に飾ったお雛さまを前に参詣の方々と桃の節句を楽しみました。お雛さまは娘の初節句に義母からお祝いとして頂いたものです。私たちにとっては立派なお雛さまでしたから、娘が幼い頃にはできるだけ桃の季節に飾ることを心がけていましたが、忙しいこともあって毎年とはいきませんでした。さらに娘が学生の頃や成人してからはめっきり飾る機会が減り、お雛さまには申し訳なかったのですが箱の中に納めたままでした。

その娘が家庭を持ち女の子が授かったことを契機に3前に久しぶりにお雛さまを飾って桃の節句を祝いました。昨年は飾ることができなかったのですが、今年は興厳房が「参詣の皆さんにも一緒に楽しんで頂きたい」と客殿に飾り、お経日に参詣された皆さんと一緒にお茶とお菓子を頂いて歓談の一時を楽しみました。それぞれ自身の幼い頃の思い出や、子どもさん、お孫さんの話題などをご紹介頂きました。女の子のお祝いといわれるひな祭りですが、年齢にこだわらず女性の健やかな日々を祈るお祭りとして、明年もこの時季には桃の節句を祝いたいと思いました。

相武山 山主

2017年03月30日

お久しぶりでした

2月25日(土)午後、金沢区の丸井さんご一家がお参りになりました。ご主人と奥さんのちはるさんの厄年御祈念のお参りでしたが、皆さんいつもお忙しいようでお会いするのは久しぶりでした。元気そうなご夫妻とすっかり大きくなった二人の子どもさんたちに会うのはしばらくぶりのことで、とてもうれしく思いました。

ちはるさんは小学校の頃から信仰を大切にされる両親やお祖父ちゃんお祖母ちゃんと一緒によくお参りに来ていました。しかし、就職から結婚と慌ただしい20代からやがて子どもを授かることになり、家事と育児に追われてこのところあまり自分の時間はとれないようです。その上、子どもが大きくなり地域や学校のボランティア、パートの仕事なども加われば時間に余裕など生じようもないことでしょう。

そのような環境でも結婚以来自宅には御本尊様を安置し、厄年を迎えればご夫婦で菩提寺の当山に参詣されるのですからご信心は確かです。御仏大聖人様も御照覧あってご家族を見守られることでしょう。これからも家族皆んなで信仰を意識して幸せな日々を過されるようお祈りしています。

相武山 山主

 

2017年03月02日

宗祖ご誕生会

2月16日は宗祖日蓮大聖人誕生の日です。今年は前倒しして12日の日曜日13時から法要を執り行いました。御宝前にはお赤飯を盛っての献膳をお供えし、午前中の日曜法話会に引き続いて参詣された皆さんとご一緒に宗祖のご誕生を御祝い申し上げました。

真心からの読経・唱題の後、法話では妙法比丘尼御返事『日蓮は日本国安房の国と申す国に生まれて候ひしが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり。此の度いかにもして仏種をもうへ、生死を離るる身とならんと思ひて候ひし程に、皆人の願はせ給ふ事なれば、阿弥陀仏をたのみ奉り、幼少より名号を唱へ候ひし程に、いささかの事ありて、此の事を疑ひし故に一つの願をおこす。日本国に渡れる処の仏経並びに菩薩の論と人師の釈を習ひ見候はばや』を拝読して宗祖の出自と求道の覚悟をお話しました。

仏道で尊ばれるものは、その人の「出自や家柄、健康や資産、地位や名誉、権威や権力」ではなく、「いかなるものを大切にして、いかなる心で人生を歩んだか」ということだけです。宗祖は他宗の祖師とは異なり、身分制度の時代のもとでは極めて底下の家柄の出身でしたが、その出自を隠そうともされず自ら明らかにしています。その上で宗祖は仏道の目的を『生死を離るる身となること』(人生の迷いと苦悩を離れてまことの安らぎを得ること)だと示され、法華経の行者として尊い御生涯を歩まれました。

報恩感謝を申し上げながら、仏縁を頂いて門弟に連なる私たちも南無妙法蓮華経のお題目をお唱えして、宗祖の御心の一分なりとも拝受できるよう信行を深めたいと思いました。

相武山 山主

2017年03月01日

坂本君また会おう

多くの人がご承知のように人生は出会いと別れの連続、出会いもさまざまなら別れもさまざまです。生き別れなら再会も思い描きやすいものですが、幽明境を異にする別れなら寂しさもひとしおで悲しいものです。まして、もっと語り合いたかった人との突然の別れを聞くことは辛いものです。お寺の住職という立場はおいても、齢を重ねてからは旅立ちの報にふれることも多くなってきました。先月はかつてご縁を頂いた3名の僧侶の訃報を頂きました。

54年前の春、倶に11歳で僧道を歩みはじめた得度同期の坂本啓道師、その時に親しくお世話頂き可愛がって頂いた御仲居さんの前川師、そして42年前に一緒に大石寺大坊に在勤した本山同期の田中壽教師です。それぞれに思いはあるのですが、ことに親しい友人であった坂本師の訃報にはしばし力が抜けてしまいました。かねて病気治療については漏れ聞いており心配していたのですが、その後、良くなっているよと聞いていたので安心しており、いつか北海道伊達市の師を訪ねてゆっくりと話をしてみたいと思っていました。

御本尊様に追善供養の読経と唱題をしていますと、頭を丸めたものの右も左もわからぬまま一緒に大坊を走り回っていた小六の頃や、上野小学校や中学校への登下校の通学路で遊んでいた様子。中学校の部活でバスケットに汗を流していたり、村のコゾウ(静岡県東部では親しい目下の相手に此の小僧「コン コゾウ」と呼ぶ風潮がありました)に悪戯していた頃の様子、反抗期まっただ中の富士宮北校通学時代、と彼とのさまざまな光景が思い出されます。

彼は長崎県諫早市の出身でした。彼は私と違って学業の成績も良く、性格も温和で落ち着いた性格でしたが、九州男児らしく一途で情熱的な一面も持っていました。彼とは中学から高校の途中で私が大坊を放出されるまで親しい間柄でした。お互い青少年の多感な時代でしたからバカをしたり、夜遅くまでいろいろな話題で話し込むこともありました。高校2年の秋、私が大坊から出されて札幌市の仏見寺に派遣されるときも彼は心配してくれました。ですから、高校を卒業した私が大学に通うために鶴見の妙寿寺に在勤することを知った彼は、在勤していた埼玉県浦和市の常生寺から直に連絡をしてくれ、神田の古本屋街で久しぶりにゆっくりと話したことを思い出します。

その後、お互いの人生いろいろありました。

というのも、彼と倶に僧道を志した富士日興門流大石寺は、信徒団体として受容した創価学会の邪義と妄信をめぐって昭和52年頃から宗門が二分化し、その混乱が阿部日顕師による血脈相承偽装や邪義謗法路線の推進によってさらに深められたからです。私たちはそのような時に「末寺住職赴任の辞令」を受ける順番を迎えたのです。日蓮正宗管長の地位に就く阿部師から住職の任命を受けることについて、昭和55年、私たち年分得度4期生は大阪に集まって今後の対応協議しました。その結果、宗開両祖の法義と信仰の再興を願う正信覚醒運動に邁進する者と、権力を握った阿部宗門に与同する者とに二分したのです。この会合に坂本師は参加していません。すでに衛坊の住職として大石寺に上っていたのです。

彼は教師になって札幌市の仏見寺と水戸市の恵妙寺に在勤していましたが、在勤者として正信覚醒運動に参画していました。彼の性格を知る私は彼が正信覚醒運動から離反するなどということは夢想だにできませんでしたが、大学時代の在勤寺院住職である尾林師の影響は大きく、さらに衛坊から派遣された寺院の開基である札幌市日正寺の秋山師の影響もあって彼は不本意ながら覚醒運動から離れて行ったようです。
彼に詳しい経緯は聞きませんでした。この時、宗門に身を置く僧侶は皆自の立ち位置を決断しなければならなかったのです。私は覚醒運動にまったく疑問がありませんでしたが、それぞれの信仰観と人生観は知るよしもありません。その後、阿部師は正信会僧侶とのふれあいを禁じましたから、分裂した両サイドが連絡をとるのも憚られるようになったのです。

そんな関係になってしまった彼と最後に会ったのは20年ほど前のことです。札幌の行足寺で仙征君(現在、札幌市清涼院住職)の得度式に招かれたときでした。せっかくの北海道でしたので伊達市にいる彼に是非会いたいと思って連絡しました。閉鎖的な阿部宗門に身を置く彼ですから少し心配しましたが、快く応じてくれたので伊達市にある彼の自坊を訪ねたのです。久しぶりに会う彼は少し照れくさそうでしたが、信頼と友情は時空の隙間を速やかにうめてくれました。

昔話をふくめて互いの近況などについて3時間ほど話をしたでしょうか。阿部宗門の実状についても話は及びましたが、彼の口調や表情から私は追求する気にはなれませんでした。およそ38年前、住職赴任時を迎えた彼と私の環境と判断がその後の人生を決めたように思います。でも彼らしく自身の判断とその後の推移について自省するばかりで、他者への厳しい批判を聞くことはまったくありませんでした。

あっという間に過ぎてしまった3時間。またゆっくりと話をしようと約束して別れましたが再会を果たせず、彼を霊山に見送ることになってしまいました。でも、もう浮き世のしがらみや排他独善の宗風に迷う必要はないのですから、坂本師も本音でじっくりと宗開両祖とお話ください。そこには阿部師や早瀬師の入る隙間はないのですから。

坂本君お世話になりました、ありがとう。私もそう遅れることなく貴師のやすらぐ世界に行くことになるでしょう。君の分までもしっかりと仏道精進してまいりますからしばしお待ちください。

相武山 山主

 

2017年02月28日