相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

佐渡宗祖御聖跡研修

今月の6日は新潟市で運営会議が開かれ、その後、(宗)正信会学林研修会で佐渡御聖跡研修に参加しました。そぼ降る雨の中、6日夕方に新潟港から佐渡の両津港にわたりました。日蓮大聖人ゆかりの佐渡ケ嶋にはその御聖跡にふれたくて30年ほど前から10数回にわたって訪れていますが、ここ10年ほどはご無沙汰でしたから、今回の研修をとても楽しみにしていました。

7日は朝からあいにくの雨でしたが、佐渡在島の大黒喜道師の案内のもと、はじめに宗祖佐渡上陸の地と伝える松ヶ崎の本行寺を訪ねました。ご住職からは現在、宗祖が松ヶ崎から国仲平野に入られた古道を整備中というお話をうかがいました。宗祖を尊崇する門下はそれぞれに宗祖の顕彰に努めていますが、地道で有り難いことだと思いました。次に塚原三昧堂跡と伝える根本寺を見学。さらに塚原跡のいわれをたずねて妙満寺と日蓮正宗宗門が建立した塚原碑を見学しました。真野御陵を訪ねた後に昼食を摂り、そして激しい雨の中、阿仏坊妙宣寺を研修しました。

その後、国府入道夫妻の遺徳を伝える日興門流の世尊寺を研修。本堂をお借りして「佐渡・世尊寺・佐渡国法華講衆」と題する大黒喜道師の講義を受講。大黒師ははじめに奈良の時代から佐渡が流罪の地であったことや、中世から徳川時代までの嶋のエピソードを紹介。

次に世尊寺のいわれと日興上人の佐渡教化について解説されました。次に日興上人の述作と伝える佐渡国法華講衆御返事を詳述され、日蓮大聖人の師弟観には「互い師弟たらんか」という横の師弟観と六老僧選定にみられる縦の師弟観があり、日蓮門下上代には門流形成という事情もあり、縦の師弟観が強調されたと解説されました。また、同御返事から日蓮門下殊に日興門流と修験道についても言及。佐渡においても修験者であった日蓮の門弟の活躍が見られることを述べられるなど、興味深い講義を頂戴しました。

8日は昨日までの雨も上がり、宗祖が塚原から移られた一の谷の地を訪ね、ゆかりの地に立つ妙照寺を見学。境内の周囲は宗祖御在世の頃と変わらぬ風光であり、稲穂が揺れる田畑を感慨深く拝見しました。その後、近くの実相寺を見学して、世尊寺の末寺、泉の本光寺へ。本光寺では大幅の日興上人の真筆曼荼羅御本尊二幅を拝観させて頂き、ご住職のお話をうかがいました。

この本光寺で佐渡の研修は終了。泉のバス停でご案内頂いた大黒喜道師とお別れして我々は両津港へ。帰路はフェリーではなく佐渡汽船自慢のジェットフォイルで新潟港へ戻りました。
十数年ぶりに佐渡を訪ね、日蓮大聖人と日興上人、門下僧俗の信仰の息吹にふれることができ、とても幸せな二泊三日の研修会でした。

相武山 山主

 

2017年09月19日

長岡市・興信寺に参詣

今月5日、佐渡研修に向かう折りに10年ぶりに長岡市の法遊寺様に参詣しました。長岡法遊寺住職高橋信行師は覚醒運動の興起から運動に参画。長岡市ばかりでなく積極的に新潟県内を走られて、富士日興門流の法義と信仰をうったえてきた方です。私は高校生の頃に御縁を頂いて今にご厚誼を頂いています。

 
高橋信行師は法燈相続と正信の継承のため、新たな菩提寺「興信寺」を建立、宗教法人を設立して現在本堂を建設中です。長男の信光君を弟子としたのはもう30ほど前のことになります。思い起こせば当山の青年部有志を佐渡に案内する途中、法遊寺様に参詣した折り、本堂の壁には「得度 信修」という張り紙があったのを記憶しています。

 
あれからかなりの歳月が流れました。法遊寺さんは声が大きく、少しがさつで乱暴に見られることもありますが、私にとっては心優しい信仰心を大切にする先輩です。これまでも大変お世話になっています。弟子の信修師が結婚されその披露宴に長岡に伺ったのが最後ですから、長岡に寄らせて頂くのはもう10年ぶりになるのではないでしょうか。
法遊寺様は数年前に法燈相続と覚醒運動のために興信寺を建立すると語り、用地の取得と仮本堂の建設までは指揮をとっていましたが、その後、興信寺の一切を弟子の信修師に任せました。宗教法人設立後は信修師が先頭に立って新寺建設に邁進しています。建設経費のめどを立てて建設に入ったのは今年の初夏。地盤が軟弱であったためその地盤の改良などで上棟式は8月の下旬となりました。

 
建設施工は当山と同様、千葉県匝瑳市の斎藤建設です。庫裡はすでに建設済みで、本堂と客間など寺院機能を備えた建物は約70坪という堂々としたものでした。寺院の建設は仏法の護持と弘通に篤い志しがあったとしても厳しく険しいものです。開基住職となる高橋信行師、初代住職となる信修師、そして檀信徒の皆様も日蓮大聖人への熱い信仰に導かれての仏道精進です。如何なる障魔が惹起しようとも志を貫徹して大願を成就して頂きたいと願って興信寺を後にしました。

相武山 山主

2017年09月18日

たましいの交流の時

日本の仏教は葬式仏教などと揶揄されることもありますが、その教えと信仰の上から死者を弔う葬儀と追善のための法事を大切にしていることは事実です。釈尊仏教の原型に死者や祖先への追善供養という概念があったかどうかは不明ですが、日本仏教では古へからの祖先崇拝を受容し、中国の孝養の道の影響もあり、知恩(恩を知る)・報恩(恩に報いる)は仏道における重要な教えとされてきました。葬儀や法事ばかりでなく春秋の彼岸や盂蘭盆会が執り行われているゆえんです。

 

葬儀や法事を営むということは、仏道の功徳を積みその功徳を縁(ゆかり)の故人やご先祖に回向(回り向かう)するということを意味しています。当山の檀信徒はそう多くはありませんが、仏道への信仰心が篤い方が多く、皆さん葬儀や法事を大切に考えておられます。葬儀や法事などは強制できるものではありませんが、葬儀はほとんどの方が当山の法式に則って丁寧に執り行われますし、法事も年忌ともなれば8割ほどの方が何らかのかたちで営まれています。したがって当山では人数の多少にかかわらず毎月2件~3件の法事を執り行っています。
世相を見れば葬儀や法事も虚礼廃止とばかりに粗末にされる方も多く、生きている者の生活ファースト(優先)として死者への追善供養に思いが至らない方も多いようですから、当山の檀信徒の方々は家族を思い信仰を大切にされていることがよくわかります。ことに法事は1周忌から33回忌、ときに50回忌まで営まれますが、年忌にあたらなくても年に一度の祥月命日忌に塔婆を建立して御回向をされる方も少なくありません。
法事は仏道の功徳を積みながら、現実世界に生きる生者がゆかりの深い死者を心から追慕し、死者が冥界から生者を見守っていることを感じる「たましいの交流の時」ということがいえます。そこには仏道を信仰する者の豊かな生死観と優しい人間性を見ることができると思います。法事の導師を務めさせて頂く私には、それぞれのご家族の実相を知るちからは到底ありませんが、故人とご家族の御縁と絆に思いをいたし、心を込めて御本尊に読経・唱題、御祈念をいたし懇ろにご回向を申し上げています。

生者と死者のたましいの交流を信じながら。
【清志さん13回忌法要】

先月の下旬、東久留米市の阿南家においてご子息阿南清志様の第13回忌法要が営まれました。阿南清志さんは当山開創時からの信徒である樺山敦子さんのご主人。平成17年11月12日、心臓疾患のため川崎市幸区の自宅で急逝されました。まだ数え年40歳の若さでした。

二人は共通の趣味である鉄道同好会をきっかけに大学時代から交際されていたようです。結婚がきまって敦子さんから清志さんをご紹介頂きましたが、年齢以上に落ち着きのある方で、折り目正しく清潔で知的な好青年という第一印象でした。さすがに敦子さんが人生をかけるにふさわしい方だと感心したことを思い出します。お二人が結婚されたのは平成5年のことでしたからもう24年も前のことになります。まだ当山が新横浜の岸根町の時代でした。

清志さんは逝去される9日前の当山(神奈川区羽沢町)のお会式に敦子さんと一緒に参詣されていましたから、12日深夜の訃報には私も本当に驚きました。日付の変わる頃、病院にうかがって安らかなお顔を拝見して事の次第を無理矢理飲み込むばかりでした。その後、敦子さんはもちろんのこと、ご両親様や二人の妹さん、さらに親族の方々の深い悲しみのなか、清志さんの葬儀を川崎市南部斎場で執り行ったのがつい昨日のように思い起こされます。

清志さんのお父様は仕事でも優秀であったようですが、世相についても見識が高く、またユーモアのセンスもある方です。お母様は物静かで優しさがにじみ出て来るようなお人柄。清志さんはお二人の人柄を受け継がれていました。何ごとにもまじめで優しい心遣いのできる方でしたから、ご家族はもとより彼を知る人々はその前途を楽しみにしていたことでしょう。私もそのうちの一人です。

悲しいかな諸行は無常、会者定離(えしゃじょうり)は世の習いといわれるように清志さんは人生を駆け抜けて行かれました。突然に最愛の人を失った敦子さんとご家族の悲しみは実に深く、皆さんに元気な笑顔が戻るのには数年の時間が必要でした。それでも6年前の7回忌の頃からは少しずつ立ち直られたように思えましたが、この度の13回忌の法要では『悲しみが癒えることはありませんが、故人への思いを常に忘れることなく、ゆかり深い一人ひとりが元気に意義ある人生を歩むことこそ清志さんへのまことの供養』と理解されたのではないでしょうか。法事の後の御斎(おとき・会食)では皆さん清志さんを偲んで親しくお話をすることができとても良い法事となりました。清志さんもきっと安心されていることと拝察します。

 

【金子さん第1周忌法要】

今月の3日、緑区北八朔にお住まいだった金子孝一さんの第一周忌法要が当山で営まれました。金子さんが当山の信徒となられてもう二十年以上の歳月が流れました。七五三のお祝いにお参りされた二人の孫娘さんも結婚され、お一人はお母さんになられましたから、時の流れは本当に早いなと思います。

金子さんは昨年9月13日、数え年86歳で逝去されました。金子さんは匠と呼びたくなるようなとても腕の良い建具職人さんでしたが、腕が良いのは建具ばかりでなく、庭づくりや野菜作りなど、多方面に器用な方でした。お寺への参詣はそう多い方ではありませんでしたが、毎年夏のお経参りにはご家族の皆さんがそろって読経・唱題されていました。その後、金子さんご夫妻と子息の孝司さん夫妻と親しくお話をさせて頂くのが常でした。

金子さんは物知りな方であると倶に職人さんらしく仕事へのこだわりのある方でした。また、奥さんや家族をとても大切にされる方で、温かい愛情が伝わってくるような人柄でした。いつも奥様とご一緒でご近所でも仲睦まじい夫婦と呼ばれていたようですが、孝司さん夫妻と二人のお孫さんの三世代での生活も仲の良い生活でした。
昨年の葬儀のときにも挨拶に立たれた孝司さんが、我が家の力は「家族愛」と述べておられととおりです。ですから長寿を頂いた孝一さんが亡くなられた時には、年齢には納得していたものの愛情故に別れの悲しみは深いものがありました。

昨年は葬儀を横浜市北部斎場で執り行い、四十九日忌の法要と納骨は霊園で営みました。今年は8月に新盆の供養を行って間もなくの一周忌でしたが、思いのある家族・親族の皆さんが当山に集い本堂で法要を営み、その後、客殿で御斎を頂き故人を偲びました。

それぞれにゆかり深い故人を偲ぶ法事のかたちはあろうかと思いますが、生者と死者のたましいの交流の時を大切にしたいものです。

相武山 山主

2017年09月18日

佐々木秀明師ご逝去

2ヶ月ほど前から入院加療と聞いていた小田原弘道院主管(住職)佐々木秀明師が26日逝去されました。数え年77歳。師は昭和16年2月に大阪に出生、昭和24年、8歳にして大石寺理境坊落合慈仁師の弟子として出家得度し、後に大石寺64世水谷日昇上人の弟子となりました。大分県別府の寿福寺住職を経て、小田原教会弘道院の主管に就任されたのは昭和55年5月のことでした。

昭和52年春、日蓮正宗の信徒団体であった創価学会による謗法問題が惹起し、富士日興門流の法義と信仰に危機感を覚えた僧侶は、「宗風の刷新と祖道の恢復」を訴え正信覚醒運動を展開。佐々木師は覚醒運動の先駆者の一人として全国を奔走されました。約20年ほど前に正信会の副議長をお辞やめになってからは、表だった活動はされていませんでしたし、小田原における法燈相続のための布教所も用意されてはいませんので、今後の講中の方々の信行を少なからず案じています。

29日の御通夜、30日の葬儀には、全国から45名ほどの正信会僧侶が参列、猛暑の中、遺族親族檀信徒の方々と皆んなで佐々木師の霊山への旅立ちを祈り、今世でのお別れをしました。
運動全体にも貢献された佐々木師ですが、私は個人的にも大変お世話になりましたので、式中にいろいろな光景が思い出されました。佐々木師には特に二つのことがらで深く感謝していることがあります。

一つは、近年日興門流では僧侶による布教所の開設などありませんでしたから、妙法院の前身である正信寮の開設についても会内では賛否両論がありました。もちろん個々の道念を尊重するのが正信会であり、当時の状況で阿部宗門寺院に在勤する若手教師の対応は喫緊の課題でもありました。若手僧侶による布教所開設が最終的には認められて現在に至っているのですが、佐々木師に横浜での布教所開設をうったえると、気持ちよく応援してくださいました。今に有り難く感謝しています。

また、当山の青年信徒であった坂上昭人君が昭和63年に出家得度したいと申し出た時も、佐々木師に相談にうかがいましたが、私の意志を確認された上で当時の委員会に報告、審議了承頂くことができました。当時は覚醒運動の荒波が逆巻く情況でもありましたから、僧侶の関係者しか出家得度をしていませんでした。初めての信徒からの出家得度の申し出に、会内では『どう対応したら良いだろうか』という戸惑いがあったようですし、私もまだ35歳という若さでしたから心配の声もあったようです。このときの激励にも有り難く感謝しています。

その他にもいろいろとお世話になりました。心からの感謝を申し上げ読経唱題させて頂きました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

相武山 山主

 

2017年08月31日

与志子さん どうぞ安らかに

去る24日、中区滝之上の吉田与志子さんが数え年97歳を一期に逝去されました。息子さんの新一さんから連絡を受け葬儀の準備となりましたが、かねて入院されていた病院からの説明もあって、ご家族も最後を覚悟しておられたようでした。

新横浜の斎場を式場に27日の御通夜、28日の葬儀・告別式、初七日忌法要まで、当山の法式に則って厳かに執り行い、与志子さんを深く信じられていた法華経の世界にお送りしました。

先月のブログで義妹のみほ子さんが霊山に旅立ったことをおしらせしましたが、みほ子さんをお送りして2ヶ月。当山開創時からの信仰の同志がまた一人、日蓮大聖人さまのもとに向かわれました。

最後にお会いしたのは昨年9月のお経参りの時でした。耳が遠くなっておられましたが、一緒に勤行唱題をつとめ、2年ぶりでしたのでゆっくりと昔話を交わしました。与志子さんは記憶力の良い方で、保土ケ谷の開創当時から岸根の時代の頃を懐かしく語っておられました。また、来年もお会いしましょうといってお別れしたのが最後となりました。

私の与志子さんのイメージは、かつて人生のご苦労や日蓮大聖人へのまじめな信仰についてお話を伺っていたこともあり、聡明な上に非常に腹の据わった方というものです。頭の回転も速く弁も立つ方でした。教えを求める気持ちも強く、御書をよく拝読されて、私にもよく質問されていたのを覚えています。

岸根や羽沢でのバザーでは、お好み焼きや焼きそばをよく焼いてくださいました。苦労を表に出されず、皆さんに明るく声をかけておられた姿がまぶたに浮かびます。開創当時の仲間をまたお一人霊山にお送りし寂しく思いますが、送る私も必ず旅立つのですからしばしの別れに過ぎません。

与志子さんまたお会いしましょう。

相武山 山主

2017年08月29日

作務にご協力ありがとうございました

一昨日の27日(日)、午前10時から境内の草取り清掃作務を行いました。湿気と多少の気温の高さはあったものの、曇り空で草取りにはほどよい天気でした。一部参道の草取りもありましたが、大半は駐車場の草取りと駐車場の垣根となっているレッドロビンの剪定でした。

参加頂いたのは、新倉さんご兄弟、小原さん、落合さん夫妻、芦川さん夫妻、熊木さん、鈴木さん、阿部さん、中澤さん、森さん、辻本さん、山村さんの17名の方々でした。本当にありがとうございました。

作業の前と終了後を画像でご紹介すると、その内容がわかりやすいのですが、このところサボっていたこともあって、駐車場は結構荒れていました。レッドロビンも伸び放題で近隣宅にも迷惑をかけていたのではないかと思っています。2時間近い作業で見違えるようになり、駐車場も気持ちよく使っていただけるものになりました。

参加された皆さんはそれぞれに忙しい中、時間をつくって菩提寺妙法院のために汗を流してくださいました。ご信心がなければできないことですのでその志に御礼を申し上げます。
作業の後は、皆さんと一緒に暑気払いのバーベキューランチ。興厳房が前日からいろいろと準備をしていたので、スムースにバーベキューができ、皆んなで懇親のランチタイムを楽しみました。バーベキューを頂きあれこれと勝手な会話を交わしているうちに、午後1時半となり、各自片付けをしながら流れ解散となりました。

皆さんありがとうございました。

相武山 山主

2017年08月29日

戦没者法要と旧お盆

今年の8月の横浜は陽の光を感じることが本当にわずかでした。月初めからほとんど陽射しのない日が続き、月遅れのお盆の期間も雨模様でした。当山では檀信徒からの希望もあり7月と8月の二度盂蘭盆会を行っていますが、8月は開山以来「戦没者追善法要」と併せての執行です。

13日の前後から16日の開けまで、時には雨にもかかわらず、墓所や永代供養墓には三々五々家族でお参りされる方が続きました。思いを込めてお参りされる姿を見ていますと、『家族って良いな~、お盆は良いな~』という思いが涌き起こります。

13日は日曜法話会の後でもあり、本堂は多くの檀信徒でいっぱいでした。参詣の皆さまは日蓮大聖人の「知恩・報恩」の教えに導かれ、各自の有縁精霊やご先祖への追善供養のために、真心込めて法華経を読誦、南妙法蓮華経のお題目をお唱えして供養のまことを捧げられました。

法要後の法話は7月の盂蘭盆会と同様に「盂蘭盆御書」を拝読。目連尊者が餓鬼の世界に堕ちた母親青提女を救う盂蘭盆のいわれをお伝えしました。その上で、『我欲に執着することの愚かさに気づくのが仏道であり、日々の生活において、地獄、餓鬼、畜生の三悪道に陥らぬよう、お互いに妙法信受の南妙法蓮華経のお題目を唱えてまいりましょう』と述べて法話としました。

15日はあいにくの雨模様のなか、午後1時から「戦没者追善法要並びに盂蘭盆会」を執り行いました。献膳、読経、唱題と如法に執り行い、読経中には各自の塔婆が建立された精霊壇に進み、有縁精霊やご先祖にお焼香を捧げ供養を申し上げました。

法要後の法話では御書を拝読。数百万という戦没者への供養の思いをこめて、太平洋戦争の悲惨さを解説し、平和の大切さを忘れてはいけないとお話しました。また、基本的人権をはじめ民主主義と主権在民を認める現在の日本は、戦争犠牲者の上に成り立っていることを自覚して、人権や民主主義が空気のように当たり前に思わずに、その素晴らしさを再認識することが必要であることをお伝えしました。結びには盂蘭盆法要に参詣された功徳を申し上げて法話といたしました。

8月15日の戦没者追善法要は大切な法要だと信じて当山開創以来続けてまいりましたが、私はやはりこの日は日本にとって特別な一日ではないかと思います。現在の日本はこの日から始まっていることを忘れてはいけないし、この一日に、我が国と私たちは「何を捨てて何を得たのか」をしっかりと考えなければならないと思うのです。

思いを新たにした一日でした。

相武山 山主

 

2017年08月28日

8月の法話会

【テーマは日本の仏教】 

8月の日曜法話会のテーマは前月に引き続き「日本の仏教」でした。仏教はおよそ2500年前、釈尊によって開かれた創唱宗教です。シャカ族の覚者である釈尊の教えは、開教以来インドはもちろんアジア全域に広がり現代に至っています。しかし、仏教は創造神を認めず、妙法という真理を一人ひとりが獲得して、覚者となることを求める宗教ですから、元来の寛容性もあって、広くその教えが伝播してゆくうちに多様性を帯びるようになりました。

原始仏教もしくは根本仏教というインドの仏教と、スリランカや東南アジア、中央アジアやシルクロード、チベットや中国、そして韓半島から日本、各国各地域に受容された仏教には異なりがあります。それぞれ、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静という三法印、苦・集・滅・道の四聖諦、十二因縁や六波羅密、そして八正道など基本的な思想は説かれるものの、各国各地域の受容と発展によって特色が有り一様ではないのです。 それは仏教が創造神への絶対帰依を求めるような宗教ではなく、妙法という普遍的真理を求める宗教であることによるのでしょう。またその持つ寛容性によるものかもしれません。いずれにせよ私たちが日常ふれる我が国も仏教は「日本の仏教」とことわりを入れる必要があるのではないかと私は考えています。

この考えに沿って我が国の仏教を今一度確認しようと考えてことしの法話会では「日本の仏教」というテーマを置きました。現在の日本の仏教を知るためには今までの仏教の歴史を学ばなければなりませんので、数ヶ月前から少しずつ日本仏教の歴史を概観しているところです。今月は奈良から平安に入ろうと考えていたのですが、世相のテーマに「マインドフルネス、瞑想ブーム再来?」を取り上げましたら、その話で今月の法話会はタイムオーバーとなってしまいました。

【マインドフルネス、瞑想ブーム再来?】

『マインドフルネス』数年前からマスコミにも取り上げられていますから、見たり聞いたりしたことがある方も多いのではないでしょうか。瞑想は仏教の開祖釈尊に覚りをもたらし、座禅をもっぱらとする禅宗が存在するように、仏教と極めて深い関係性を持つ修行法です。東洋の英知を求める欧米人によって、近世幾たびかブームが起きましたが、最近もNHKスペシャルで紹介されたり、その他のメディアに取り上げられ、さらにグーグル社をはじめIT関連会社の研修などに導入されていることが報じられて今再びのブームのようです。

報道の内容は宗教性を排除した瞑想であるマインドフルネスは、健康やビジネスに効果的ではないかというものでした。 ネットを開けば無数の人物や団体、会社や組織によって、おびただしい案内や書籍、講演会やセミナー、教室や合宿が紹介されています。少しのぞいて見ただけではまったくその善し悪しはわかりません。本来の目的である『病める人や精神の不安定な人の心の安定をはかり、その健康に寄与しよう』としているのか、ビジネスと金儲けの手段としてブームに便乗しているのか、自らの新たな信仰世界に関心を持つ者を信者にしようとしてるのか、私にも判断がつきかねます。

【注意が必要】

マインドフルネスはもちろん、ヨガや瞑想も宗教性を排除した「心と身体の健康法」としている教室や団体が多いのでしょうが、人生や世間がよく理解できていない若者や心霊現象を好む人々、そして精神の不安定な人々が闇雲に飛びつけば、『危険なものになる側面もあるな』と心配が脳裏をよぎりました。

飛躍しすぎといわれるかもしれませんが『オウム真理教』の事件をふと思い起こしたからです。多くの人々を苦悩と悲嘆の底に陥れたあの恐ろしい邪教も入り口は「ヨガ&瞑想」でした。教祖麻原はバラモン教とウパニシャッド、ヨガと仏教を混交させて「オウム・真理の教え」を創出し、自らを『超能力を有する聖者・尊師』と称して教団に君臨したのです。

その教祖麻原の導きに従った加害者は人生のすべてを失ったばかりでなく、多くの犠牲者を出すという罪障を背負いました。しかし、その加害者の大半は初めから犯罪者であったわけではなく、逆に人生や社会の不条理や矛盾を解決したい、人間存在の有り様や本来の自己を探求したいと願うまじめな若者だったのです。しかし、超自然現象、神秘体験、聖者尊師崇拝に翻弄され、教祖麻原の毒薬を飲んで悪業を積んでしまいました。実に不幸極まりないことです。

【マインドフルネスの周囲】

瞑想そのものは仏教の禅定にも通じるものですから私も否定することはありません。私も仏道修行の三学におさめられている「禅定」を大切に考えている一人です。そればかりか一般的には、南妙法蓮華経のお題目を唱える私たちの唱題行も瞑想修行の一つと認識されているようです。

また、宗教性が排除され医療的な活用を目的とした瞑想「マインドフルネス」であれば、科学的実証を経ていることもあり、その有効性は個々の資質と情況によるものであって、万能性を主張してもいませんから、健康法として活用することを否定する理由は乏しいと思います。もちろん私たち日蓮大聖人の教えを信ずる者は、南妙法蓮華経の御本尊を深く信じ、心を調えて静かにゆったりとお題目を唱えることによって、安心(あんじん)を得ることができますから積極的に用いることはありません。

「マインドフルネス」について案ずるのは、医療や精神の安定と集中として活用される瞑想の周囲には、「気功」や「サイキック」、「スピリチュアルの世界」や「アカシックレコード」、「ヘミシンク」など心霊や不思議体験の世界が海のように広がっているという現実です。

詳細をここで述べることはできませんが、それぞれに、心と身体の健康を取り戻すこと、迷いや悩み、苦しみからの解放をうたい、愛と安らぎの世界を約束しています。 これらは現実に不安や苦悩に脅かされていない人々には理解できないでしょうが、人生の苦悩にあえぐ人々や心霊現象を求める人々には、非常に魅力的で救いの道のように見えてしまうのです。

このような世界はビジネスとしても成り立つために、ネットでわかるように業界の裾野が広がっています。私にはここにも現代社会の人間性の劣化を見る思いがします。『これさえあれば何でも思いが叶う。私が探し求めていたものはこれだった』と単純に考えて飛びつくと、後にその間違いに気がついても、そのような傾向性のある人々は必ず彷徨うことになり、同じような世界をエンドレスであちらこちらと漂って、貴重な人生の時間を失ってしまうことになるのです。

【世相から学ぶ】

さて、法話会では初めに「マインドフルネス」についてマスメディアの報道を示し、続いてその定義についてお伝えしました。マインドフルネスとは『今、この瞬間』の自分の内的・外的体験に注意を集中させて、現実をありのままに受け入れること。『今、この瞬間』の自分に注意を向けて、自分の心と身体の状態に気づくこと、といえるようです。

人間を苦しめ悩ませているものは煩悩であり我執であることは、仏教の常の談義ですから、自分自身の心を見つめて、己がもつ我執や煩悩に気づくことは大いに意味があることです。

マインドフルネスの科学的・学術的発展、実践の有効性・安全性の向上を目的として設立された日本マインドフルネス学会ではマインドフルネスを次のように定義しています。

『本学会では、マインドフルネスを、“今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること” と定義する。 なお、“観る”は、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観る、という意味である』と。

最新の脳科学で『ストレス軽減、集中力アップ、自律神経回復』などの効果が実証されたとマスコミで取り上げられましたが、脳科学の進化と研究によって『瞑想によって脳も変化し心の安定がある。瞑想することによってストレスが軽減される。不安症、うつ病、パニック障害などに有効』であることがわかってきました。すでに述べたように、『マインドフルネスの特徴は、宗教性を排除した瞑想法であり、宗教性をもつ特定の教義やカルト的聖者を認めない』ということがポイントとなります。

「学ぶべきこと」では、宗教性を排除したマインドフルネスという瞑想健康法があるという事実を理解すること。その上で、瞑想を万能と信じ切ると現実生活の否定や逃避につながることがあるので注意が必要であること。のめり込むと瞑想ビジネスのえじきになったり、超能力者を自称する聖者によるカルト的教団に引き込まれる恐れがあること。マインドフルネス瞑想ブームを見て、私の感じている危惧を少々お伝えした8月の法話会でした。

相武山 山主


2017年08月27日

わらべ会夏のつどい

7月30日(日)は朝からあいにくの雨模様でしたが、午前10時から境内の草取り作業、そして10時50分頃からは「わらべ会 夏の集い」でした。夕方の3時頃まで子供たちの明るい声が本堂と境内に響き、とても幸せな一時を頂きました。

今年は11名の子供たちが集まってくれました。宇梶あおい、内堀まな、中里颯汰、中里あやの、白濱こうたろう、白濱れい、白濱ゆい、片岡わかな、片岡いろは、ユルドゥルム メルサ、ユルドゥルム ロビンちゃんたちです。

はじめは例年通りお経に親しむ「練経」です。私が一節ずつ声を出して読み上げ、子供たちについてきてもらいます。普段からお経を読んではいないようですし、お経を読むことの意味もわからないでしょうから、あまり面白く思えなかったようで、楽しい雰囲気ではありませんが、いつの日かお坊さんと一緒にお経を読んだことを思い出してくれたらいいなと思っています。

お経の練習の後は、私からのお話です。子供とはいえ皆それなりの人格ですから、今すぐに理解できなくても心の底においてほしいと考えてお話をしました。

お話の内容は五つでした。

はじめに『大きな声で挨拶をしよう』です。言葉は心の思いを伝える大切なもの。思っている、考えているだけでは伝わりませんから言葉に出すことが大切です。まずは家の中から家族に。「おはよう」「行ってきます」「ありがとう」「ただいま」「おやすみなさい」と折あるごとに声に出すことを勧めました。

次に『なぜだろう?どうしてだろう?を大切に』です。これは子供から大人にまで通じることですが、何ごともよく知りたいと思う心、関心を持つこと好奇心も持つことが大切です。日頃から「なぜだろう?どうしてだろう」と考え、求めて行くことが人生のおもしろさであり、成長のすがたといえるのですから、遠慮なく素直に尋ねることの大事さを伝えました。

三番目には『人は一人ひとりちがう、違いを認めよう』です。この世の中に同じ人は一人もいません。みな顔もちがえば考えもちがいます。それぞれの能力もちがえば家族などの環境もちがいます。好き嫌いもちがいますから、一人ひとりのちがいを認めることによって、自分が迷ったり、自信を失ったり、逆にいばって自慢をしたり、争うような愚かなこともなくなるのです。一人ひとりちがいがあると認めることを伝えました。

四番目には『チャレンジしよう』です。何ごとにもまちがったり、失敗したりということがあります。そこでがっかりしたり、人から笑われることがあるかも知れませんが、それでも何かにチャレンジしたことは事実で、チャレンジしたことだけでもすばらしいことです。失敗は悪いことではありません。何ごともうまくいくときもあれば、失敗するときもあるのです。一方的には言えませんが、やって失敗することは、やらないで格好をつけたり、失敗をこわがってやらないことよりも良いことです。何でもやりたいことにチャレンジするよう望みました。

最後は『家族を大切にしよう』です。一番身近でお世話になっているお父さんお母さんをはじめ、支えられている家族に感謝の気持ちをもち、それを伝えることの大事さを伝えました。あまりに身近に居るために、つい感謝の気持ちを忘れることがあること注意をしようということです。子供たちにどの程度理解できたかはわかりませんが、人としての基本に関わることがらなのでお話をした次第です。

ここで私の役目は終了です。

その後は興厳房の担当です。はじめに御香を御本尊様や有縁精霊やご先祖さまにお供えする意味についてわかりやすく説明した後、御本尊様にお供えするシキミから抹香を造る作業の実践です。現代では見ることも珍しくなった薬研(やげん)を取り出し、枯らしたシキミを入れてゴリゴリと押していくと、少しずつシキミ香ができてますが、できる前に強く清らかなかおりが出てきます。子供たちは薬研を押すことだけでもおもしろい体験ですから、皆な眼を輝かせて楽しんでいました。

その後は例年どおり太鼓の練習です。はじめに新聞紙のバチで妙法蓮華経の五字に合わせて五打のリズムをとります。音とリズムに敏感なのは子供たちの才能です。みんな良いリズムで五打うちをしていました。そして、本物の太鼓に向かって木のバチでチャレンジです。お母さんも一緒になって題目太鼓を楽しみました。そのうちにこの子供たちから、法要や行事の砌に太鼓を叩いてくれる子供が出てくることを心待ちにしています。

時間の経つのは早くすぐにお昼になってしまいました。楽しみのランチは朝から草取り作務をして頂いた世話人さんが準備をしてくださった「流しそうめん」です。興厳房の手配で前日に準備された青竹にそうめんが流されると、子供たちはそれぞれにテンションを上げてそうめんをすくっていました。隣ではバーベキューも準備され、子供たちと付き添い、そして世話人さんたちが一緒にランチを楽しく頂きました。

ランチの後はやはり恒例となった「スイカ割り」です。御宝前に供えられた緑区の落合さん手作りのスイカを境内に置き、子供たちに目隠しをして割ってもらいました。初めはちょっと戸惑っていた子供たちもすぐに楽しくなったのか、積極的に何回もチャレンジしていました。割れたスイカは皆でデザートとして美味しく頂戴しました。

スイカ割りの後は客殿でのレクリエーション。興厳房の案内で「巻物作りとオリジナルうちわ作り」です。思いおもいに絵を描いたりシールを貼ったり創作を楽しみました。また、副講頭の小原さんが用意したカードゲームでも遊びました。

予定の時間を迎え、皆で本堂に集合。私の唱導で南妙法蓮華経のお題目を三唱して、平成29年妙法院わらべ会夏の集いを終了しました。参加頂いた皆さまありがとうございました。子供たちの元気な声が法華経の道場に響いたことをとても幸せに感じました。
明年もより多くの子供たちに集まってほしいと願っています。

相武山 山主

 

2017年08月26日

追悼 劉 暁波氏

16日(日)は7月度の日曜法話会でした。この日の法話会「世相」のコーナーは、7月13日に逝去した劉暁波氏追悼をこめた「私に敵はいない」でした。中国共産党一党独裁下の中国では人権問題が大きな課題。毛沢東の時代からさまざまな人権抑圧は伝えられてきましたが、今に収束する見通しはありません。世界第二の経済大国となってアジアばかりでなく全世界に大きな影響力を持つ中国ですが、共産党一党支配下での政治には光と影が在り、さまざまな課題が山積しているようです。

チベットの強行併合、文化大革命、天安門事件など、私はかねてから隣国である中国の問題には関心がありました。それは当初、共産主義・社会主義国の市民支配のシステムを利用しようとしていたある教団の実相探求が目的でした。しかし、やがて現代世界の見過ごしてはならない事相ではないかと思うようになったからです。この日の法話会は劉暁波氏の生前の思想と活動を中心にお話をしました。多くの見識ある方々にも知って頂きたく、以下に法話会の趣旨をまとめてみました。

7月13日、中国の民主化運動のリーダーであり人権活動家として著名な劉暁波氏が肝臓がんによって死去しました。共産党一党独裁統治下、基本的人権が抑圧される中国で、さまざまな弾圧に遭いながら命をかけて自由と基本的人権を訴え続けた人物です。

彼が人権活動家として民主化運動に参加したきっかけは1989年6月に起こった天安門事件です。1980年代、文化大革命の混乱を乗り越え中国の実権を握った鄧小平によって改革・開放政策が推進されると、経済的な発展がなされた反面、物価の高騰などによる経済格差などが生じ、政治体制の民主的改革を求める声が増大しました。

その渦中で国民的人気が高く民主化に理解のあった胡耀邦氏が死去。民主化を求める大学生を中心に一般市民約10万人が天安門広場に集結しデモを起こしました。この民衆化運動を共産党政府が中国人民解放軍を出動させて、同年6月4日、武力鎮圧したのが天安門事件です。犠牲者は数百人から数千人といわれていますが、国民をその軍隊が殺戮するという凄惨な事件は、現在も中国政府によってタブー視され、国民が事件について語ることは許されません。

1989年、民主化運動が勃発するとコロンビア大学の客員研究者だった劉氏は即座に米国より帰国し運動に身を投じました。天安門事件では銃をとって権力と対峙しようとする者もいましたが、劉氏はその銃を奪い取って非暴力で運動に臨むことを主張しました。彼はこの非暴力の姿勢を生涯堅持したのです。

また、事件後は「反革命罪」で投獄されましたが、この事件で他のリーダーの多くが「病気療養」の名目で出国を許可される中、1991年の釈放後も出国せずに引き続き中国に身を置き、天安門事件殉難者の名誉回復と人権保障などの民主化を叫び続けました。
その後、劉氏は2度の投獄や強制労働の弾圧を受けましたがその志を折ることなく、2008年には「零八憲章」を起草。この起草では、憲法改正・三権分立・司法の独立・人権保障・公職選挙・結社の自由・集会の自由・言論の自由・宗教の自由等を主張。民主主義国家では当たり前の主張です。しかし、この宣言文の発表で劉氏は「国家政権転覆扇動罪」で逮捕、懲役11年の判決を受けました。

裁判において劉氏は『私の自由を奪った政権にいいたい。20年前にハンスト宣言で表明した「私に敵はいない、憎しみもない」という信念に変わりはない。私を監視し、逮捕し、尋問してきた警察、起訴した検察官、判決を下した裁判官はすべて私の敵ではない。監視や逮捕、起訴、判決は受け入れられないが、当局を代表して私を起訴した検察官の張栄革と潘雪晴も含め、あなた達の職業と人格を私は尊重する』と陳述しました。

実に深い思想性を帯びた言葉であり、非暴力主義の尊い精神がほとばしっています。2010年10月8日、劉暁波氏は「中国における基本的人権のために長年、非暴力的な闘いをしてきた」ことによってノーベル平和賞を受賞しますが、その授賞式では出席ができない彼のために椅子が用意されこの陳述書が代読されました。

彼の病死によって弾圧者は彼の口を一時封じることはできたかもしれませんが、彼の思想と主張と活動の事実を覆い隠すことはできません。そればかりか彼の死はその言動と共に世界中に広報され、中国の現実を浮き彫りにし、彼が望む未来への展望を指し示したのです。

現実から逃避することなく、逆境にひるむことなく、勇気を持って真実を述べ続けた彼の思想と行動は、実に尊敬すべきものであり永く輝くものであります。彼の冥福を祈りその希望が必ずや満たされることを信じてやみません。

相武山 山主

2017年07月31日