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相武山 妙法寺 ブログ

追悼 劉 暁波氏

16日(日)は7月度の日曜法話会でした。この日の法話会「世相」のコーナーは、7月13日に逝去した劉暁波氏追悼をこめた「私に敵はいない」でした。中国共産党一党独裁下の中国では人権問題が大きな課題。毛沢東の時代からさまざまな人権抑圧は伝えられてきましたが、今に収束する見通しはありません。世界第二の経済大国となってアジアばかりでなく全世界に大きな影響力を持つ中国ですが、共産党一党支配下での政治には光と影が在り、さまざまな課題が山積しているようです。

チベットの強行併合、文化大革命、天安門事件など、私はかねてから隣国である中国の問題には関心がありました。それは当初、共産主義・社会主義国の市民支配のシステムを利用しようとしていたある教団の実相探求が目的でした。しかし、やがて現代世界の見過ごしてはならない事相ではないかと思うようになったからです。この日の法話会は劉暁波氏の生前の思想と活動を中心にお話をしました。多くの見識ある方々にも知って頂きたく、以下に法話会の趣旨をまとめてみました。

7月13日、中国の民主化運動のリーダーであり人権活動家として著名な劉暁波氏が肝臓がんによって死去しました。共産党一党独裁統治下、基本的人権が抑圧される中国で、さまざまな弾圧に遭いながら命をかけて自由と基本的人権を訴え続けた人物です。

彼が人権活動家として民主化運動に参加したきっかけは1989年6月に起こった天安門事件です。1980年代、文化大革命の混乱を乗り越え中国の実権を握った鄧小平によって改革・開放政策が推進されると、経済的な発展がなされた反面、物価の高騰などによる経済格差などが生じ、政治体制の民主的改革を求める声が増大しました。

その渦中で国民的人気が高く民主化に理解のあった胡耀邦氏が死去。民主化を求める大学生を中心に一般市民約10万人が天安門広場に集結しデモを起こしました。この民衆化運動を共産党政府が中国人民解放軍を出動させて、同年6月4日、武力鎮圧したのが天安門事件です。犠牲者は数百人から数千人といわれていますが、国民をその軍隊が殺戮するという凄惨な事件は、現在も中国政府によってタブー視され、国民が事件について語ることは許されません。

1989年、民主化運動が勃発するとコロンビア大学の客員研究者だった劉氏は即座に米国より帰国し運動に身を投じました。天安門事件では銃をとって権力と対峙しようとする者もいましたが、劉氏はその銃を奪い取って非暴力で運動に臨むことを主張しました。彼はこの非暴力の姿勢を生涯堅持したのです。

また、事件後は「反革命罪」で投獄されましたが、この事件で他のリーダーの多くが「病気療養」の名目で出国を許可される中、1991年の釈放後も出国せずに引き続き中国に身を置き、天安門事件殉難者の名誉回復と人権保障などの民主化を叫び続けました。
その後、劉氏は2度の投獄や強制労働の弾圧を受けましたがその志を折ることなく、2008年には「零八憲章」を起草。この起草では、憲法改正・三権分立・司法の独立・人権保障・公職選挙・結社の自由・集会の自由・言論の自由・宗教の自由等を主張。民主主義国家では当たり前の主張です。しかし、この宣言文の発表で劉氏は「国家政権転覆扇動罪」で逮捕、懲役11年の判決を受けました。

裁判において劉氏は『私の自由を奪った政権にいいたい。20年前にハンスト宣言で表明した「私に敵はいない、憎しみもない」という信念に変わりはない。私を監視し、逮捕し、尋問してきた警察、起訴した検察官、判決を下した裁判官はすべて私の敵ではない。監視や逮捕、起訴、判決は受け入れられないが、当局を代表して私を起訴した検察官の張栄革と潘雪晴も含め、あなた達の職業と人格を私は尊重する』と陳述しました。

実に深い思想性を帯びた言葉であり、非暴力主義の尊い精神がほとばしっています。2010年10月8日、劉暁波氏は「中国における基本的人権のために長年、非暴力的な闘いをしてきた」ことによってノーベル平和賞を受賞しますが、その授賞式では出席ができない彼のために椅子が用意されこの陳述書が代読されました。

彼の病死によって弾圧者は彼の口を一時封じることはできたかもしれませんが、彼の思想と主張と活動の事実を覆い隠すことはできません。そればかりか彼の死はその言動と共に世界中に広報され、中国の現実を浮き彫りにし、彼が望む未来への展望を指し示したのです。

現実から逃避することなく、逆境にひるむことなく、勇気を持って真実を述べ続けた彼の思想と行動は、実に尊敬すべきものであり永く輝くものであります。彼の冥福を祈りその希望が必ずや満たされることを信じてやみません。

相武山 山主

2017年07月31日

7月の盂蘭盆会

横浜では東京と同様に7月にお盆の法要を営む寺院や家庭が多いように思いますが、全国的には月遅れの8月が一般的なお盆とされています。当山では檀信徒の方々の自由としていますから7月と8月の2回のお盆の法要を営みます。通常お盆は13日が入りで法要は15日、開けが16日となっています。しかし、寺院によってはこの期間の前に法要を行って、お盆の期間は各自のお墓参りや自宅でのお盆を営むようにしているお寺もあるようです。

今年も三軒茶屋の鈴木キヌ子さんから塔婆供養申し出のお手紙を頂きました。鈴木さんは間もなく米寿を迎えますから、高齢と遠路のために参詣はままならなくなり、久しく参詣を頂いておりませんが、毎年春秋のお彼岸と夏のお盆には、ご先祖や有縁の方々への追善供養を欠かされることはありません。多少の信仰心があればご先祖などへの供養は多くの方がなさいますが、子供の頃の友情を米寿を迎える頃になっても忘れることなく、冥福を祈って供養をささげる方はそう多くはないと思います。鈴木さんが追善供養をなさるのは女学校時代のお友達、宇田川喜代子さんです。喜代子さんは鈴木さんを当山に導かれた方でもあります。「人情は日々に薄れ」という世相ですから、いっそう鈴木さんの心の温もりを感じます。喜代子さんもさぞ喜んでおられることでしょう。

さて、当山ではお盆が近くなると墓所の清掃や香華をささげるためにお参りされる方が増え、期間中は朝から夕方まで三々五々家族連れの姿をお見かけします。日本のお盆らしくて良い光景だと思っています。7月の盂蘭盆法要は15日がメインでしたが、13日と16日に参詣される方も居られました。13日は宗祖の月例の御報恩講、16日は日達上人のご報恩法要でしたが、ご一緒させて頂いた次第です。それぞれの法要では常のように御供物を供え塔婆を建立して、法華経要品を読誦、お題目をお唱えして懇ろに御回向を申し上げました。

法要後の法話は「盂蘭盆御書」を拝読。この御書は宗祖が弟子の治部房の祖母からお盆の御供養をお受けになったご返事。宗祖はお盆の御供養にちなんで盂蘭盆経を基とした由来を述べられ、法華経の受持によってこそ真の救い、成仏が遂げられることを説かれました。その内容は釈尊の十大弟子の一人、神通力第一とうたわれた目連(もくれん)が、餓鬼の世界に堕ちた母親青提女(しょうだいにょ)を通力で救おうとして叶わず、釈尊の導きによって救うお話ですが、真の救いは目連尊者が法華経を受持し成仏したことによるとし、孫の治部房が法華経の行者であるから祖母の成仏も疑いはないと述べられています。
盂蘭盆経で説かれる目連尊者の母青提女とは、私たち一人ひとりの凡夫のことです。すなわち「強い欲望に振り回されやすい姿、自分だけの利害損得に追われやすい姿、他者の苦悩や悲哀を理解しようとしない姿、嫉妬や憎悪や怒りなど感情に流されやすい姿、真理を求め学ぼうとしない姿・・・」など、私たちが貪・瞋・痴(とん・じん・ち)の三毒に犯されやすい者であることを教えているのです。その上で真実の幸せのために仏道を歩むことを勧めているのです。

信仰歴の長い方々は幾度となく聴聞された御書だと思いますが、当山には常に初信の方が居られるので、折々にお盆のいわれをお伝えしています。また、同じ御書でも拝読聴聞するときの環境は常に同じではありませんし、語る私もまったく同じ心情ということはありませんから、それぞれの機会に信仰の意義を深めて頂きたいと願っています。

相武山 山主

2017年07月31日

阿部信光師第一周忌

昨年の7月に逝去された法因寺初代住職阿部信光師の第一周忌法要を7日(金)11時から当山の本堂で執り行いました。ま夏の暑いさなかに信光師を弔い、その後、汗をかきながら教区の方々と1ヶ月ほどかけて都筑区の法因寺を整理し、明け渡してから早くも1年となりました。

信光師にはいろいろと問題があったかもしれませんが優しい人柄の持ち主で、法要には追善の気持ちを抱く近在の僧侶にご参集頂きました。御宝前を荘厳申し上げ、精霊壇には塔婆を建立して供物とお膳を供え、皆で真心込めて読経・唱題を申し上げました。参列者の信光師への思いは霊山で宗開両祖にまみえている信光師にも届いたことでしょう。

法要後にはささやかな御斎の時間。信光師が引き寄せたご縁そのものに、在りし日のさまざまな姿の信光師を偲び、皆で楽しい語らいの一時をもちました。ちなみに法因寺は早瀬宗門の手によって昨年の秋には取り壊され現在は更地となっています。信光師も驚いておられることでしょう。

相武山 山主

2017年07月31日

「みほちゃん」しばしのお別れ

先月の21日早朝、吉田満さんから「みほちゃん」逝去の報せをうけました。最近の様子をうかがっていなかったので突然という思いでしたが、満さんからの丁寧なお話をうかがって得心しました。すぐに枕経にお参りしたいと思ったのですが、現代の世相のままに、すでに病院から葬儀社の安置所に行かれるという流れになっていましたから、枕経や十分な段取りについてお話はできませんでした。それでも本人の意思とご遺族の理解があって、当山の法式に則って23日と24日の両日、新横浜の斎場にて厳かに葬儀式を執り行いました。
数え年で81歳だった吉田みほ子さんを私が「みほちゃん」と呼ぶのには少々わけがあります。私が横浜での布教を志して当山の前身となる「布教所 正信寮」を開いたのは昭和56年の2月でした。得度を許され仏道に身を置いた小学校の6年生から29歳近くになるまで、私は寺院での生活が当たり前でしたが、創価学会と結託した阿部日顕師が大石寺と日蓮正宗を乗っ取ったことが判明したときから、寺院での生活を離れ民家で求道と布教にあたることを決意しました。保土ヶ谷駅にほど近い西区東久保町のアパートの一室を仏間としてスタートしたそのときに私の生活環境はがらりと変わりました。今振り返ればよくやったものだと懐かしく思い出しますが、初めてのアパート暮らしはいろいろなことがあり鮮明に覚えています。

2月7日は御開山日興上人の祥月のご命日忌。日興門流の法義と信仰を求める正信覚醒運動の布教所を開所するにさわしい日と考えて、昭和56年2月7日入仏開所式を執り行いました。入仏式には千葉に布教所を開こうと考えていた楢原慈道師が臨席してくださり、また心をお寄せ頂いた数人のご信徒が参列されました。その中に「みほちゃん」もいたのです。お会いしたその時に、義姉の与志子さんが「みほちゃん」とよんでいたので、その親しみやすい雰囲気に私もつい「みほちゃん」と呼び始めて、最後にお別れをするまでみほちゃんだったということです。

ご厚誼を頂いてもう37年になります。信仰心の篤い「みほちゃん」は年中行事はもちろんのこと月例のお経日や御講には義姉の与志子さんと一緒に、保土ケ谷の丘の上の正信寮によく参詣され、合摩さん宅での宅御講にも必ず足を運ばれていました。『信心だけは真面目にしっかりとしたい』と熱く語る人で、言葉をかざることはまったくありませんでしたが、ざっくばらんな物言いに正直さと心のぬくもりが伝わってくる方でした。家族や友人のこともよく心配されていましたし、お寺のこともご心配頂きました。岸根町や羽沢町ではバザーなどにも積極的に参加され、元気に皆さんに声かけをしていたことが思い起こされます。

10年ほど前からは高齢になられた上に体調をくずされ、お寺には思うように参詣できなくなり、旭区下川井町の現寺院には数回参詣されただけでしたが、恵まれた環境に立派な本堂が建立されたことをとても喜んでいました。また、息子の満さんと勝利さんがそれぞれに当山の墓苑に墓石を建立したときには『本当によかった、これで私も安心・安心』と満足しておられました。

昨年は二年ぶりのお経参りにうかがい、久しぶりにゆっくりと語り合うことができ、今となっては懐かしい思い出となりました。葬儀では懇ろに読経・唱題を申し上げ、仏祖三宝尊に成仏の御祈念をいたし御回向申し上げました。今生ではもう二度とみほちゃんの元気な声を聞くことはできませんが、信心深かったみほちゃんですから、きっと日蓮大聖人様のもとに行かれたことでしょう。時が来れば私も霊山に向かいます。みほちゃんしばしのお別れです、またお会いしましょう。

相武山 山主

2017年07月31日

教えと信仰を学ぶ機会

恒例の東海正信連合会夏期研修会が18日と19日の両日、熱海市網代の松風苑で開催されました。この研修会は静岡と神奈川の僧俗が集い、皆んなで富士日興門流の法義と信仰を学ぶ機会です。今年も70名以上の方々が参集、梅雨のひととき宗開両祖の教えを真摯に学びました。

第1日目は開会式に引き続いて座間布教所三浦優道師による「重須殿女房御返事」の御書講義。第2時限目は当山執事興厳房による「中国天台宗について」の講義。第3時限目は本妙院執事坂口興妙師による「ものの見え方」のお話でした。講義の後には皆なで勤行をつとめ夕刻は親睦の夕べ。教えを学ぶとともに同志僧俗が忌憚なく語り合えるのも一泊研修会の良いところ、皆さんにぎやかに語りあっていました。

第2日目は御殿場市妙報院の永山郁道師による「心身の健康」と題してのお話。第2時限目は私が「六老僧について」と題して講義。講義の内容は『宗祖の御遷化と門流の誕生』についてでした。基本資料としては日興上人による「宗祖御遷化記録と墓所可守番帳事」です。

講義では初めに「宗風の刷新と祖道の恢復」を目的とする正信覚醒運動の実践にあたって最も大切なことは、宗開両祖の教えを真摯に求め学ぶことであり、そのためには労を惜しまず確かな資料を丁寧にひもといてゆくことの大事さをのべました。その後、宗祖御遷化記録と墓所可守番帳事を一つひとつ解説し、『宗祖は御入滅にあたって六老僧を選定され、たしかな御遺言をなされている。各門流で主張される相承書などには疑義があること。門流の正統性は法義と信仰の護持伝承によって判断されるべきであること』をお伝えしました。

「六老僧の教線とその系譜」については時間がなくなり次回にお話することとなりましたが、これからも研修会などの機会を活かして御信徒とともに宗開両祖の教えと信仰を学んで行きたいと思っています。より多くの御信徒が学びの庭に座すことを願って・・・。

相武山 山主

 

2017年06月30日

法華講総会を開催

6月11日(日)午前中の日曜法話会に引き続き、午後1時より当山法華講の第35回総会が開催されました。総会は港南区の中澤俊彦さんの司会進行で開会。始めに住職の導師のもと全員で読経・唱題、仏祖三宝尊への御報恩を申し上げ、法華講の発展と講中一同の信行増進を御本尊様に祈念申し上げました。

総会は始めに法華講会計係の阿部純子さんによる平成28年度講費(法華講活動費)会計報告。続いて老川文枝さんが会計監査報告を行い、講費(相武山だより制作費、妙風新聞紙代、恵日誌代、各分担金、通信費、法要供物費など講中活動経費、月額1,000円)は法華講の活動原資なので講員各位の理解とご協力をお願いしたいとうったえました。

続く所感発表では草ヶ谷珠代さん、落合美代子さん、芦川裕子さん、熊木真治さんの4名が、5/28に名古屋市で開催された法華講全国大会に参加しての所感を発表。一日がかりの参加でしたが、尾張法難を乗り越えられた先達の信仰心にふれることができた喜びや、阿部一博さんの所感発表に胸を打たれたこと、また、荻原昭謙師の講演から正信覚醒運動の原点と使命を学ぶことができたことなど、大会に参加したことで信行の励みになったことが発表されました。

所感発表の最後は「第二の人生を迎えて」と題して和光市の重吉稔さんが発表。海上保安庁勤務で全国をまわりながら二人の娘さんを育てられたこと、健康を損ねることになった奥さんへの温かく優しい思いなど、これまでの人生を振り返りながら言葉を飾ることなく率直に語られました。定年を迎えこれからの第二の人生は、苦労をかけてきた奥さんのことを第一に、娘さんたちご家族の幸せを祈りながら穏やかに過ごしてゆきたい。また、若いときから御縁のある日蓮大聖人への信仰を、妙法院を菩提寺と定めて生涯大切にしてゆきたい。と発表されました。

講頭挨拶では新倉昇三さんが登壇。『日蓮大聖人の仏法に巡り会えたこと、菩提寺妙法院がご住職や興厳さんによって護られ、講中の皆さんと一緒に信行に努められることに感謝し人生の喜びを頂いている。信仰を護り伝えることは難しいことだが大聖人様の門弟としてお互いに精進してゆこう』とのべられた。

結びとなる住職挨拶では『新寺院が建立されて7年目を迎え、さまざまな意味においてようやく建立の所願が見通せるようになってきたこと。これも信仰心篤い法華講衆一人ひとりの信行の功徳によること。法話会や仏事の執行を通じて新たに仏縁を結ばれる方々が広がっていることは現在の新寺建立の賜でもあること。菩提寺の外護と法燈相続、内外の弘教には法華講の充実が求められていること』をのべ、これからも自身の成仏と妙法流布のために仏道に精進して行こうと申し上げました。

相武山の檀信徒によって結成される妙法院法華講が彌々充実し興隆することを願ってやみません。

相武山 山主

2017年06月29日

「老いの心得」について

11日は日曜法話会でした。午後には法華講総会も予定されていたので予定の椅子はほぼ埋まるような盛況でした。といっても35名ほどですが。一般の方13名を含めてほとんどの方がリピーターでしたので、レジュメ冒頭の法話会の意義については簡略に説明し、早速「世相」のコーナーに入りました。

今月取り上げた世相の話題は『「老いの心得」について』。政治や経済についても興味ある話題はあるのですが、今月は法話会に参加聴聞頂く方々に重ねて伝えたい社会問題としての「老いの心得」について所感をのべることにしました。

初めに高齢化社会の現状を知って頂くために、昨秋、総務省統計局から発表された資料を提示。65歳以上の高齢者は3461万人となり総人口に占める割合は27.3%。ちなみに70歳以上の人口は2437万人、75歳以上は1697万人、80歳以上は1045万人ということでした。

話は、まず「老後から旅立ちまでは人生の集大成となること」から。人生の有り様はさまざまな因縁によって人それぞれ。与えられた貴重ないのちは歩んできた人生のなかで身につけた信仰や思想信条、見識などによって、人生最後の時間の過ごし方も決まってきます。そしてそこには避けようのない「病いと老い」が存在し、それらといかに対峙して心安らかに今世からの旅立ちをして行けるかがすべての人々に問われていることをお伝えしました。

だれもが自分の寿命はわかりませんし、現代は老後の時間は長いものがあります。老いの生活では前述のように各自の人生観が問われるのですが、老いることには厳しさと楽しさの二面性が在ることを貝原益軒の養生訓などを引きながら解説しました。
そもそも老いによる基本的な苦悩は、身体は日一日老いてゆくのに、心は身体に比例して老いてゆく実感がなく、心の年齢は各自の自由勝手であるからかもしれません。また、今までできていたことができなくなったり、人のお世話になる機会が増えてくるなど、これまでの生活が変質することによってもたらされるものでもあります。

「より良い老いの道」としての結びは、老後の迷いや不安は当然のことであるから、まずは老いてゆくことを認めること。そして、世事の煩いは思いの明晰なうちに早めに対応すること。次に希望と不安、幸せと不幸は自らの心が決めていることに気づくこと。その上で、『日々の生活の中で愚痴と不平と不満からの解放をめざして仏道を学ぶなど、齢を重ねても自らの心が磨かれて成長してゆくことを喜びとできるように調えること』の大切さをのべて世相(老いの心得)の意見としました。

世相の後はメインテーマの「日本の仏教」について。前々回からのテーマでしたが今月はようやく4月に配布した参考資料「仏教へのいざないー青少年のための仏教入門ー」の内容に踏み込むことができました。

初めにインドにおいて創始された釈尊の仏教が日本的な仏教として受容されている事実をお伝えし、参考資料より「1,仏教伝来」についてを学びました。日曜法話会では来月からも聴講の皆さんと地道に日本仏教の歴史を学んでまいりたいと考えています。

相武山 山主

2017年06月29日

名古屋で全国大会を開催

去る5月28日、名古屋市の吹上ホールを会場に(宗)正信会法華講全国大会が開催されました。近年大石寺門流では創価学会や阿部・早瀬宗門によって日興門流本来の法義と信仰が混乱し、残念なことに悪しき権威主義を基に排他独善が横行、迷信や妄信がはびこるようになってきました。その実態を憂いて約40年ほど前に「宗風の刷新と祖道の恢復」を願う正信覚醒運動が起こりました。

正信会はその運動を推進する団体で、当山もその運動に参画してすでに37年の歩みを刻んできました。全国大会は正信覚醒運動にはげむ僧俗が年に一度集い合い、運動の理念と信仰を確認する大会となっています。 今年の大会は静岡や中部の寺院講中が中心となっての運営、すばらしい天候に恵まれて、みな晴れやかな笑顔で参集しました。第一部では大会会場にゆかりの深い「尾張法難」を中心に、さまざまな厳しい環境にも負けることなく信仰に励まれた先達の尊い信仰の姿が映像で紹介されました。

第二部では地元信徒による「歓迎の言葉」、宗教法人代表役員川井泰円師の挨拶、そして信徒代表2名による信仰所感の発表。続いて荻原昭謙師による「正信覚醒運動の原点と我らの使命」と題しての講演。最後に運営会議議長の高橋恩道師が「法灯の継承に励もう」と訴えて大会は閉会。それぞれの挨拶や発表からは正しい信仰を求めてゆく熱い思いが伝わってきました。また、荻原師の講演では覚醒運動の原点と使命が明確にのべられ意義深い大会となりました。大会には当山からも代表15名が参加、所感発表には川崎市の阿部一博さんが立ちました。

大会の詳細は7月1日号の妙風新聞に掲載されますので楽しみにお待ちください。なお、明年の大会は京都市で開催の予定です。

相武山 山主

 

2017年06月21日

日曜法話会と伊豆の御難会

5月14日は今年になって5回目の法話会。さわやかな風が吹き抜ける中いつもの方々がお集まりになりました。新来者の方は不在のようでしたから、はじめの語りは簡略にさせて頂きすぐに「世相」について。
世相のテーマは「憲法改正論議について」でした。今年は日本国憲法市施行70周年憲法記念日を迎えて憲法についての意見がさまざまに述べられていますが、憲法は私たちの生活の基盤となる根本規範ですから誰もが無関心でいるわけにはいきません。

はじめに現憲法の成立経過についてふれながら「憲法の定義」を簡略に解説。憲法は「国家権力の権限と義務を定めて、国民の権利や自由の保障を図るための根本規範」であり、日本国憲法の三大原則は「基本的人権の尊重、平和主義、国民主権」であること。その特徴は「平和主義」であり、戦争の放棄を打ち出して「交戦権の否認」と「戦力不保持」を規定していることを説明しました。
また、知っているようでよく理解されてない「法治国家、立憲主義、法の支配など」について、私も専門家ではありませんから十分に理解できているかどうか怪しいものですが、わかる範囲で解説してみました。

今回施行70年をきっかけに、多くの方が法律の基本となる憲法を考えることになったのは大変良いことだと思います。最後に「学ぶべきこと」として、「法治国家に生きていることの認識。その権利と義務と責任を自覚する。憲法は不磨の大典(明治憲法発布勅語)ではない。憲法を考えることは自らの人生と社会を考えることに通じる。自らの意見をまとめてみる良い機会」とすることをお伝えしました。

少し難しい憲法の話に時間をとられてしまいましたが、続いて法話会テーマの「日本の仏教」。先月に続いて釈尊によって創始された仏教は、非常に多様性に富んだ宗教であることを現在の仏教国の現状から説明。それぞれの時代や地域によって様相の違いはあるものの、基本思想として三法印、縁起論、四聖諦など普遍の法理が必ず説かれており、多様性を認めながらもそれそれの国や地域で、釈尊の真理を求めようとしていることを述べました。

日本の現在の仏教もインドの原始仏教などと比較するならば大きな隔たりがあり、同一に語れない面もあるが、基本思想につては共通の面もあり、比較するならば日本の仏教は日本的仏教ということができることをお伝えしました。日本の仏教を知るためにはその歴史を学ばなければならないので、日本仏教史の概観を共に学んで行こうと述べたところで今月もタイムオーバー。「仏教へのいざない」をテキストにする概観史は来月の課題となりました。

ランチタイムを挟んで13時からは宗祖の「伊豆御流罪法難会」を執り行いました。午前中の法話会から引き続いての方々も多く、皆さんとご一緒に宗祖への御報恩のため懇ろに読経・唱題を申し上げることができうれしく思いました。その後の法話では伊豆御流罪の概要を説明して、「上求菩提・外化衆生」の仏道に生涯をかけられた宗祖のお振る舞いをお伝えしました。続いて前日の宗祖御報恩御講同様「顕仏未来記」を拝読し講義をさせて頂きました。

宗祖の御一生はまさに波瀾万丈でドラマのようですが、一つひとつの法難や出来事をよく見てみると、宗祖の見識の広さと思索の深さ、そして徹底した覚悟と実行力がうかがえます。私たちはとても同じようにはできませんが、宗祖の門弟として仏縁を結んだのですから、少しでもその御心に近づきたいと願うばかりです。

相武山 山主

2017年06月04日

雨の御報恩講

5月13日は月例の日蓮大聖人御報恩講でした。横浜は新緑を際立たせるような雨模様でしたが、翌日の14日には日曜法話会と伊豆御難会を執り行うことにもなっていましたから参詣者はほとんどいないのではないかと思っていました。しかし、毎月宗祖の御講に参詣しておられる14名ほどの檀信徒の方々がいつも通りにお参りになりました。

毎月のお参りを欠かすことなく努められるだけでも尊い信仰心ですが、雨が降って足下の悪い道を一歩一歩あゆんで来られる姿はきっと日蓮大聖人様のご照覧にあずかることでしょう。昔から『雨に降られながらの参詣は晴天に恵まれた日の参詣よりも功徳が積まれる』などといわれていますが、そのまじめな求道心には敬意を表するばかりです。

月例のように献膳・読経・唱題をもって宗祖への報恩謝徳を申し上げた後、「顕仏未来記」を拝読しての法話を申し上げました。私たち日蓮門下は宗祖の遺された御遺文「御書」を宗祖からのご教示と拝して信行に励むことを基本としています。したがって門下の寺院道場においては御書を拝読、宗祖の御心を伝えるべく法話をするのですが、法話では宗祖の教えをできるだけ正しく、また、わかりやすく、そして、聴聞される方々の日々の生活に少しでも活かされることを願ってお話をさせて頂いています。

当山ではこの春から「顕仏未来記」を親しく学んでいます。御書の御真筆は遺っていませんがたしかな御書であり、宗祖の覚悟とその教えがよく顕されています。3月にその概要を解説し、少し長い御書ですので数回に分けてお話することにしました。4月には第1回として冒頭部分のお話をし、5月は第2回目でした。

はじめに本文の 『疑って云く、正像の二時を末法に相対するに、時と機と共に正像は殊に勝るるなり。何ぞ其の時機を捨てて偏に当時を指すや。ーー 略 ーー末法に於ては大小の益共に之れ無し。 小乗には教のみ有りて行証無し。大乗には教行のみ有りて冥顕の証之れ無し。其の上正像の時の所立の権小の二宗、漸々末法に入りて執心弥強盛にして小を以て大を打ち、権を以て実を破り、国土に大体謗法の者充満するなり。仏教に依りて悪道に堕する者は大地微塵よりも多く、正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少なし』を拝読。

この御文が『正法・像法の時代と末法の時代を比べてみると、時といい、人びとの能力といい、ともに正法・像法の時代の方が勝れている。どうして勝れている方を捨てて、法華経流布の時として劣っている末法が指定されたのであろうか』という問いを起こし『仏のお心は不可思議で、推しはかることが難しい。ー 略 ー 末法に入ると、権大乗も小乗も共に衆生に利益を与える力はない。小乗は教のみあって行も証もなく、権大乗は教えと修行はあっても、眼に見えるかたちでも見えないかたちでも証得する者はいない。しかも、正法および像法の時代に小乗と権大乗の教えによって建てられた諸宗が、末法に入っていよいよ自宗に執着する心を強め、小乗によって大乗を打倒し、権教によって実教を破折しようとするので、国中には謗法の者が満ちあふれてくる。そのため、仏教が原因で謗法の罪を犯し、悪道に堕ちる者が大地の微塵の数よりも多く、法華経を修行して仏道を得る者は、爪の上に乗る土ほども少ないというありさまである』旨を解説。
続いて『此の時に当たりて諸天善神其の国を捨離し、但邪天・邪鬼等有りて王臣・比丘・比丘尼等の身心に入住し、法華経の行者を罵詈毀辱せしむべき時なり。爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨てて実大乗の法華経に帰せば、諸天善神並びに地涌千界等の菩薩、法華の行者を守護せん。 此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか。例せば威音王仏の像法の時、不軽菩薩「我深敬」等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如し。彼の二十四字と此の五字と、其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ。彼の像法の末と是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり』を拝読。
この御文が『その時、正法を守護すべき諸天善神がその国を見捨ててしまい、残るのは邪悪な心をもった諸天や鬼神のみとなり、彼らが国王や臣下や僧尼などの身に入り心に取りついて、法華経の行者を悪口してはずかしめる時代となる。けれども、釈尊の滅後に法華経以前の方便の教えに対する間違った執着の心を捨てて、真実の大乗教である法華経に帰依すれば、必ずや諸天善神や地涌千界等の菩薩が、この法華経の行者を守護するだろう。すると、この法華経の行者はその守護の力に背中を押されて、法華経本門の本尊と肝要の妙法蓮華経の五字をこの世界に広く宣べて流布させるに違いない。

そのすがたは、過去の威音王仏の滅後像法の時に出現した不軽菩薩が、「私は深くあなた方を尊敬する。けっして軽蔑はしない。その理由は何か。あなた方はみな菩薩の道を行じて、仏に成るだろうから」という漢字二十四字と唱えてそれを広く流布させ、その結果として国中の人びとから杖木で打たれたり、瓦石を投げられるという迫害をこうむったのと同じである。不軽菩薩の二十四字の文と日蓮が弘通する妙法蓮華経の五字とは、言葉は違っていても、その意は同じである。不軽菩薩は像法の末、日蓮は末法の始めにそれぞれ生を受けたが、その世相は一致している。不軽菩薩は滅後五品の中の初随喜品の位、日蓮は六即の中の名字即の凡夫であり、階位も同等である』旨を解説。

拝読御書の全体を通して、宗祖の教えが末法という時代を基盤としていること、そして救済される衆生の実相と、救済の教えである南無妙法蓮華経、さらに救済者となるのは法華経の行者であることをお伝えしました。

宗祖の遺された御書は鎌倉時代の文体であり、難解な仏教用語が頻出することもあって、難しいことはいうまでもありませんが、仏教の根本思想であり末法の衆生救済の教えですから、これからもより多くの方々と倶に学んで行きたいと願っています。

相武山 山主

 

2017年06月03日